「チャールズ2世 (イングランド王)」の版間の差分

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チャールズ2世期のイングランド議会(騎士議会)は王党派が主導権を終始握り続けた長期間にわたる体制下にあった。しかし、騎士議会はチャールズ2世を終始支持したものの、財政問題や対フランス外交を巡って国王と議会の間の意見対立が次第に深刻化して、後の[[名誉革命]]の遠因となった。
 
議会とは別に、チャールズ2世の側近クラレンドン伯が政権を取り仕切り、[[1667年]]にクラレンドン伯が失脚、フランスへ亡命した後は5人の側近([[トマス・クリフォード (初代クリフォード・チャッドリー男爵)|クリフォード男爵]]、[[ヘンリー・ベネット (初代アーリントン伯)|アーリントン伯]]、[[ジョージ・ヴィリアーズ (第2代バッキンガム公)|バッキンガム公]]、[[アントニー・アシュリー=クーパー (初代シャフツベリ伯爵)|シャフツベリ伯]]、[[ジョン・メイトランド (初代ローダーデイル公)|ローダーデイル公]])が政権を担った。彼らはその頭文字からキャバル政権([[Cabal|CABAL]]:陰謀を意味する)と呼ばれた。[[1673年]]からは[[トマス・オズボーン (初代リーズ公)|ダンビー伯]]がそれに替ったが、1679年にダンビー伯が失脚してからは[[ジョージ・サヴィル (初代ハリファックス侯)|ハリファックス侯]]が側近となった。
 
1661年に議会は[[常備軍]]を解散させたが、国王警備など一定の範囲で存続と再軍備は認められ連隊が次々と創設された。しかし宗教問題で議会は寛容を認めず、1661年から[[1665年]]にかけて[[非国教徒 (イギリス)|非国教徒]]を弾圧する一連の法案([[クラレンドン法典]])が議会で可決され、1662年のチャールズ2世の[[信仰自由宣言]]も却下された。同年、財政上の必要から、1658年にフランス・スペイン戦争でイングランド領になった[[ダンケルク]]を4万ポンドでフランスに売却した。
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