「多賀郡」の版間の差分

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== 歴史 ==
=== 近代以降の沿革 ===
* 「[[旧高旧領取調帳]]」に記載されている[[明治]]初年時点での支配は以下の通り。●は村内に[[寺社領]]が、○は寺社除地(領主から[[年貢]]免除の特権を与えられた土地)が存在。[[天領|幕府領]]は多田銃三郎支配所が管轄したが、実際には[[1866年]]([[慶応]]2年)に全域が川越藩領に編入されている。(83村)
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| 関本上村
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* [[1868年]](慶応]]4年[[6月27日 (旧暦)|6月27日]]([[1868年]][[8月15日]]) - [[三上藩|三上]][[藩士]]の粥川光明が'''[[常陸知県事]]'''に任命され、旗本領を管轄。
* [[1869年]](明治2年[[2月9日 (旧暦)|2月9日]]([[1869年]][[3月21日]]) - 常陸知県事の管轄区域に'''[[若森県]]'''が発足。
* [[1871年]](明治4年
** [[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]]) - [[廃藩置県]]により、藩領が'''[[水戸県]]'''、'''[[松岡県]]'''、'''[[川越県]]'''となる。
** [[11月14日 (旧暦)|11月14日]](1871年[[12月25日]]) - 第1次府県統合により、全域が'''[[茨城県]]'''の管轄となる。
* [[1878年]](明治11年)
** [[7月22日]] - [[郡区町村編制法]]施行により行政区画としての多賀郡が発足。郡役所は高萩村に設置。