「菅茶山」の版間の差分
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農業・菅波久助の長子として生まれる。茶山が生まれ育った神辺は、[[山陽道]]の[[宿場町]]として栄えていたが、賭け事や飲酒などで荒れていた。学問を広めることで町を良くしようと考えた茶山は、[[京都]]の[[那波魯堂]]に[[朱子学]]を学び、[[和田東郭]]に[[古方派|古医方]]を学んだ。京都遊学中には[[高葛陂]]の私塾にも通い、[[与謝蕪村]]や[[大典顕常]]などと邂逅した。
故郷に帰り、
塾は
廉塾の門人には、[[頼山陽]]・[[北条霞亭]]など多数。墓所は神辺網付谷にある。
「廉塾ならびに菅茶山旧宅」は
== 参考文献 ==
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