「箱根峠」の版間の差分

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律令時代には、[[相模国]]([[箱根町]])[[駿河国]]([[小山町]])との境に当たる[[足柄峠]]には、'''[[足柄関]]'''が設置された。
 
=== 鎌倉時代から天正時代まで ===
[[東海地方|東海]]([[駿府]]、[[浜松市|浜松]]など)[[関東地方|関東]]([[鎌倉]]、[[小田原市|小田原]]など)に本拠地を置く戦国武将は、[[箱根峠]]と[[足柄峠]]を防衛の要衝としていた。鎌倉時代以後の「関東」の定義は、「''東海道の箱根峠、足柄峠から東の地''」となり、この定義が第二次大戦後の「[[関東地方]]」の基になっている。
 
戦国時代には、箱根を介して[[武田氏]]・[[後北条氏]]・[[今川氏]]が「[[甲相駿三国同盟]]」を結んでいた。
しかし、この箱根峠を挟んだ東西同士の繋がりは、現在でも強い。これは、[[今川義元]]が治めた頃の[[駿府]]が「東国の[[京都|京]]」と称された事や、戦国時代の「[[甲相駿三国同盟]]」や、現在の「関東・[[山梨県|山]][[静岡県|静]]」の呼称からも窺える。
 
=== 江戸時代 ===
[[江戸時代]]になると、[[江戸徳川幕府]]の[[五街道]]整備において、距離の短い箱根峠ルートが重視された。[[芦ノ湖]]畔には[[箱根の関]]が設けられ、幕府防衛のための関と位置付けられた。(しかし関所として取締りが厳重で厳しかったのは[[新居の関]]で箱根の関は、比較的緩やかだった。)関の守備は[[小田原藩]]が担当した。
 
幕末には、[[佐幕|佐幕派]]の[[遊撃隊 (幕府軍)|遊撃隊]]と[[明治維新#中央政府|明治政府]]に恭順していた小田原藩兵との間に関所をめぐり激しい戦闘が行われ、関の大部分が戦火で焼失した。
 
=== 明治維新以後 ===
[[1869年]]([[明治]]2年)に箱根は廃止され、自由に行き来することが可能になった。その後、関所跡は史跡として親しまれ、第二次大戦後には観光施設として整備された。[[2006年]]([[平成]]18年)にはそれ迄の文献や発掘作業などを基に、ほぼ完全な形の復元関所が完成している。道路の東海道である[[国道1号]]は箱根峠を経由する路線になっており、[[小田原市|小田原]]から箱根峠までは[[箱根新道]]が建設されている。
 
地形が急峻なため鉄道路線は箱根峠を避けて建設され、まず[[御殿場市|御殿場]]経由(現在の[[御殿場線]])、次いで[[熱海市|熱海]]経由で[[東海道本線]]が開通、[[東海道新幹線]]も熱海経由となった。道路交通においても、[[東名高速道路]]は御殿場を経由し、東名高速に並行する国道246号も4車線化が進み、大型車両は殆どがこれらのルートを利用していることから、近年は箱根峠の主要交通路としての重要性は薄らいでいる。
 
== 交通 ==
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Hakone Pass}}
* [[日本の峠一覧]]
;箱根峠関連
* [[箱根山]]
* [[Category:箱根]]
* [[箱根町]]
* [[道の駅箱根峠]]
 
* [[東海道]]
;[[東海道]]・[[浜街道]](平城京⇔多賀城の太平洋岸)と境界
* [[鈴鹿峠]] ※箱根峠に次ぐ国道1号の難所である。
*[[駒ヶ嶺 (新地町)]]:相馬氏と伊達氏の境。
* [[日本の峠一覧]]
*[[夜ノ森]]:岩城氏と相馬氏の境。
*[[勿来]]:箱根と列ぶ「[[坂東]]」「[[関東]]」の端で、関東(坂東)と東北(みちのく)の境。
*[[足柄峠]]:神奈川県と静岡県(旧駿河国)の境。「坂東」「関東」の語源の一つ。
*[[由比町]]:断崖地帯。関東(坂東)政権と東海(海道)政権の境。
*[[桶狭間]]:織田・豊臣領と今川・徳川領の境。近畿(畿内)政権と東海(海道)政権の境。
*[[鈴鹿峠]]:紀伊半島(三重県)と琵琶湖岸(滋賀県)の境。由比断崖や箱根峠と列ぶ国道1号の難所。
 
 
{{国道1号}}
[[Category:箱根の山]]
[[Category:相模国]]
[[Category:神奈川県の地理]]
[[Category:箱根町]]
[[Category:駿河国]]
[[Category:神奈川県の地理]]
[[Category:静岡県の地理]]
[[Category:日本の交通史箱根町]]
[[Category:函南町]]
[[Category:東海道]]
[[Category:日本の交通史]]
 
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