「シリアの国旗」の版間の差分

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最初のシリア国旗は、シリア王国時代の[[1920年]]にデザインされた。これは現在の[[ヨルダンの国旗]]に似ているが緑色と白色の順序を逆にしたものであり、アラブ世界で最初に[[汎アラブ色]]を取り入れた国旗だった。しかしシリアはフランスの[[委任統治]]となったためフランス軍はシリアへ侵攻、アラブ人は敗れ王家はイギリスの手により[[イラク王国]]の国王に据えられた。[[フランス委任統治領シリア]]は王国の旗に替え、青地に白の三日月、左隅([[カントン (紋章学)|カントン]])に[[フランスの国旗]]を配した旗を制定した。さらに一ヵ月後、緑・白・緑の水平三色旗に、左隅にフランス国旗を配した旗に代えられた。この旗は[[1925年]]から[[1936年]]まで使用された。同時期シリアは[[アラウィー派]]地域や[[ドゥルーズ派]]地域などにも分割されており、それぞれ左隅にフランス国旗を配した旗を制定した。
 
この旗は[[1936年]]に、上から緑・白・黒の三色の帯があり、白帯のところに3つの赤い星([[五芒星]])があるデザインに代えられ、次いでフランス・シリア条約が制定されシリアは部分的な独立を得た。1944年の独立時もこの旗であった。[[シリア騒乱]]では、一部の反体制デモ隊が体制への抗議からこの36年版国旗を掲げている
 
[[1958年]]にシリアと[[エジプト]]が[[アラブ連合共和国]]を結成した時に、赤・白・黒で緑の星が二つある現在と同じデザインのものが使われた(二つの星はエジプトとシリアを意味する)。[[1961年]]にアラブ連合を離脱した際に、古いデザインに戻ったが、[[1963年]]に[[バアス党]]のクーデターでまた赤・白・黒の水平三色旗に戻った。この時には星は3つとなった(同時期にバアス党が政権を奪取した[[イラクの国旗]]と同様のデザインであり、当初はイラク・シリア・エジプトによる汎アラブ国家建設の構想もあったとされるが、実現しなかった)。