「成宗 (高麗王)」の版間の差分

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'''成宗'''('''せいそう'''、[[960年]] - [[997年]])は、第6代[[高麗王]](在位:[[981年]] - 997年)。姓は王、[[諱]]は治。父は[[王旭 (高麗)|王旭]](追尊して戴宗)、母は柳氏(追尊で宣義王后)。従兄の[[景宗 (高麗王)|景宗]]の後を継いで即位した。同母妹に[[献哀王后]]皇甫氏および[[献貞王后]]皇甫氏(ともに先代の[[景宗 (高麗王)|景宗]]の妃)、また従兄弟に[[景宗 (高麗王)|景宗]]がいる。[[謚号]]は康威章憲光孝献明襄定文懿大王。
 
行政改革を推進し、高麗建国時から濃かった仏教色を排除し儒教の普及のため各地に学堂を建てた。993年[[契丹の高麗侵攻]]を受けた際には、外交交渉で軍勢を退け、高麗は[[鴨緑江]]東部の[[江東6州]]を得た。995年[[契丹]]の侵攻を受けると、[[宋 (王朝)|宋]]との関係を断絶し契丹と外交関係を結んだ。男子がいなかったため、王位は甥である先代景宗の長男[[穆宗 (高麗王)|穆宗]]に受け継がれた。
 
== 家族 ==