「カラカルパク人」の版間の差分

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[[16世紀]]から[[17世紀]]、[[カザフ人]]と共にシルダリアの中流及び下流域に遊牧していた。17世紀初め、ノガイ人と共にエンバ及びヤイカ川上流とシルダリア下流に定住した。これらのカラカルパクはブハラ・ハン国とのつながりをもち、北部のカラカルパクはカザーフのハーンであるタウケ(在位:1680年 - 1718年)に藩属した。<ref>護、岡田 1990,p237</ref>
 
[[1723年]]、[[ジュンガル|ジュンガル人]]により、[[1743年]]、[[カザフ・ハン国|カザフ人の小ジュズにより]]から追い出された。
 
17世紀から[[19世紀]]初め、カラカルパク人の大多数は、[[ホラズム]]の故地である[[アムダリア川|アムダリア]]とプリダリア両河川の[[三角州|デルタ]]地帯に居住した。[[1867年]]、[[ロシア帝国]]に征服され[[トルキスタン総督府]]の管轄下に置かれた。[[ロシア革命]]後、[[ソビエト連邦]]に属することとなり、[[1924年]]、[[キルギス自治ソビエト社会主義共和国]](現在の[[カザフスタン]])管轄下でカラカルパク[[自治州]]を構成した。[[1936年]]自治共和国に昇格し、[[ウズベク・ソビエト社会主義共和国]]に属した。当時、ロシア共和国以外で自治共和国を構成した珍しい例である。