「ドーム球場」の版間の差分

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世界初のドーム球場・アストロドームの完成前の[[1958年]][[6月]]ごろ、[[日本テレビ放送網]]社長・[[清水与七郎]]らは、東京都[[新宿区]]内の社有地(現新宿六丁目地内。のちの日本テレビゴルフガーデン・新宿住宅総合展示場等立地)に、高さ70mを誇る全天候型の屋根付き球場を建設する構想を明らかにした。全面[[クレー舗装]]の屋内型野球場というものだったが、まだ空調設備の技術が未熟だったことなど問題点も数多く、結局実現には至らなかった。
 
[[1979年]]から[[1984年]]にかけて、[[名古屋市]]でも[[ナゴヤ球場]]に代わる野球場として、[[ノリタケカンパニーリミテド]]により名古屋市[[西区 (名古屋市)|西区]]則武新町(同社の本社所在地で、現在同社の関連施設「[[ノリタケの森]]」が立地する場所)で「ノリタケドーム」を建設する計画があった。
 
[[1988年]]の[[東京ドーム]]完成後は、多くの都市圏でドーム球場の建設が検討されたが、福岡、大阪、名古屋、札幌各市を除きその計画は頓挫した。代表的な例としては、[[1980年代]]後半に阪神球団が[[阪神甲子園球場]]の後継として「阪神ドーム」の建設を検討、[[1999年]]から[[2001年]]ごろ横浜市が横浜ドームの建設を検討、[[2000年]]から[[2002年]]ごろに千葉市が[[千葉マリンスタジアム]]の[[西武ドーム]]方式でのドーム化検討、仙台市で[[宮城球場]]に代わるドーム球場建設検討などがある。横浜ドーム計画では、ドーム建設支持派の団体が大規模な署名活動を展開していたが、ファンからも市民からも広汎な支持を得られず、横浜球団の観客動員低迷などに伴い立ち消えとなった。また、千葉マリンドーム計画もファン・市民からの好感触を得られなかったことから、同様に立ち消えとなった。
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