「国道48号」の版間の差分

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[[1920年]]([[大正]]9年)[[4月1日]]に、宮城県側の[[大町 (仙台市)|大町]]4丁目から山形県境までが宮城県道仙台楯岡線に指定された<ref>菊池武一「山麓宿場町愛子駅の構造」48頁(1巻324頁)。</ref>。同年に仙台と[[作並温泉]]の間にバスが運行するようになった。自動車交通が広まりはじめたこの頃から、この道路は再び重要性を増しはじめた。しかし、砂利道で、関山峠付近は道がまがりくねり、県境を自動車で越えるには難しい道であった。
 
[[1953年]](昭和28年)に県道から国道に昇格した。国は自動車交通量の増加に対応するために道路の整備を進め、[[1953年]]に湯渡戸橋を架け替え、[[1954年]](昭和29年)には[[野川橋]]の代わりとなる[[熊ヶ根橋]]を架けた。
 
[[1963年]]から再び改築が始まり、[[1968年]](昭和43年)10月に今までのトンネルの北に新[[関山トンネル]]が開通したことで、両県を結ぶ自動車の往来が増え、トラックの通行が多くなった。また、仙台市郊外で住宅地が造成され、通勤者の自動車で渋滞が深刻になったため、[[愛子バイパス]]と[[仙台西道路]]が作られた。また、前述にあるとおり山形県を結ぶ幹線道路としての役割を果たしており大型車両の通行量も多いことから、最近では狭隘部分や山間部での線形改良工事も断続的に行われており、[[2001年]](平成13年)から熊ヶ根橋の改良工事が約4年にわたって行われた<ref>http://www.thr.mlit.go.jp/bumon/kisya/kisyah/8955_kisya_preview.html</ref>ほか、作並地区においても改良工事が行われている。