「岡上樹庵」の版間の差分

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実家は[[土佐藩]]士・藤田氏。先妻は不明だが、後妻に[[坂本龍馬]]の姉・[[坂本乙女|乙女]]を迎えている。
 
代々土佐藩主の御典医を務める岡上家を[[天保10年]]([[1839年]])に継ぎ、藩主・[[山内容堂]]の寵愛を受けた。若い頃の容堂は度々岡上家を訪れては衣服などを下賜していたと言われている。
 
[[安政]]3年([[1856年]])頃、すぐ向かいに邸宅を持っていた坂本家の三女・乙女を後妻に迎え、その間には一男一女を生している。義弟にあたる坂本龍馬が脱藩した際には、坂本家に害が及ばぬ様に容堂に働きかけたとも言われている。尤も夫婦仲はあまり良くなかったと伝わっており、樹庵の浮気の他にも樹庵の祖母と乙女の仲は芳しくなく、[[慶応]]3年([[1867年]])には乙女と離縁している。
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[[Category:日本の医師]]
[[Category:幕末土佐藩の人物]]
[[Category:1828年生]]
[[Category:1875年没]]