「アーセン・ベンゲル」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
61行目:
日本に10年留まるかヨーロッパに戻るかを選択肢として持っていたが、欧州のクラブからのオファー内容が、ヨーロッパでの実績のみを基にしたものであったことから、日本でのキャリアに限界を感じていた。1996年10月1日、[[プレミアリーグ]]の名門[[アーセナルFC]]監督に就任することが正式に発表された。なお名古屋時代の右腕[[ボロ・プリモラツ]]をアーセナルでもヘッドコーチとして起用している。
 
アーセナルFCがイギリス国外から監督を迎えるのはクラブ創設以来初めてのことだった。当時、イングランドではベンゲルはほとんど知られておらず、[[ロンドン・イブニング・スタンダード]]紙は、「どのアーセンだ?」(Arsène Who?) という見出しでこの無名のフランス人監督を表現した<ref>{{Cite web
|author=uefa.com
|date=2009.10.2
81行目:
2002-03シーズンはクラブ史上初のプレミアリーグ連覇に向けて好スタートを切ったが、シーズン終盤になると調子を落とし、マンチェスター・ユナイテッドFCに逆転された。しかしFAカップでは6回戦で再試合の末にチェルシーFCを破り、決勝では[[サウサンプトンFC]]を破って優勝した。
 
2003-04シーズンは26勝12分0敗で'''シーズン無敗優勝'''を達成した歴史的なシーズンになった。これは1888-89シーズンに[[プレストン・ノースエンドFC]]が10勝1分0敗で無敗優勝を達成して以来のことで、欧州のトップリーグでは[[ACミラン]]と[[アヤックス・アムステルダム]]しか(当時としては)成し遂げていない偉業である。しかし、2004年初めに「シーズン無敗優勝は可能だ」という意見が出た時にベンゲルはこの意見を嘲笑っており、達成できるとは思っていなかったようである。
 
2004年の[[アーセナルFC]]との契約更新で、年俸は320万[[ユーロ]](約4億2500万円)から約400万[[ユーロ]](約5億3000万円)に上がった<ref>http://www.footballlife.jp/pc/backnumber/images/FL_Jr_1_p18-21.pdf</ref>。2004年10月、マンチェスター・ユナイテッドFCに敗れるまでリーグ戦49試合を負けなしで走り続けた。2004-05シーズンは[[チェルシーFC]]に優勝をさらわれたが、同シーズンのFAカップ決勝ではPK戦の末にマンチェスター・ユナイテッドFCを破った。
 
2005-06シーズンはリーグ戦こそ4位だったが、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]では[[レアル・マドリード]]や[[ユヴェントス]]、[[ビジャレアルCF]]を倒して決勝に進出した。クラブ史上初めての決勝は[[FCバルセロナ]]に1-2で敗れたが、大きな称賛を得た。2006-07シーズンは2シーズン続けての4位と苦難のシーズンになったが、2007-08シーズンは息を吹き返し、シーズンの大半を首位で過ごした。しかし、2008年2月に[[エドゥアルド・ダ・シルヴァ]]が相手DFからタックルを受けて全治10ヶ月ほどの重傷を負うと、チーム全体に積極性が見られなくなって成績を落とし、マンチェスター・ユナイテッドFCとチェルシーFCに次ぐ3位でシーズンを終えた。