|
|
'''許 慈'''(きょ じ、生没年不詳)は、[[中国]]の[[後漢]]末期から[[三国時代 (中国)|三国時代]]の人、物。[[荊州]][[南陽]]郡の出身、。字をは'''仁篤'''(「じんとく)。[[蜀漢]]に仕えた。子は許クン。
「[[蜀書]]」、杜周杜許孟来尹李譙郤伝 - 許慈伝には、「[[劉煕(後漢)]]に師事し、[[鄭玄]]の学問をよくし、た。『[[易]]』・『[[尚書]]』・『[[三礼]]』(『[[礼記]]』・『[[周礼]]』・『[[儀礼]]』)・『[[毛詞]]』・『[[論語]]』を学んだ」とある。
*[[建安 (漢)|建安]]年間、[[許靖]]らとともに [[交州 ]]から[[ 蜀益州]]に入 るった。 ▼
子には[[許クン]]がいる。
*[[劉備]] による蜀の益州平定後、 [[胡潜 ]]とともに[[学士]]に任命され、[[孟光]] 、・[[来敏]]らとともに 先漢代 以前の慣例制度を扱 うった。 ▼
*[[劉禅]]の時代に は[[大長秋]]に昇進 したといわれる。 ▼
== 出来事(年代順) ==
▲*[[建安 (漢)|建安]]年間、[[許靖]]らとともに交州から[[蜀]]に入る。
▲*[[劉備]]による蜀平定後、[[胡潜]]とともに[[学士]]に任命され、[[孟光]]、[[来敏]]らとともに先代の慣例制度を扱う。
== 参考文献 ==
|