「琉球の位階」の版間の差分

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青地五色浮織冠<BR>
紫地浮織冠</TD>
<TD rowspan="4" align="center" bgcolor="#eaeaea" colspan="2">[[総地頭]]<BR>
(一間切)<BR>
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正一品から従四品までの[[士族]]は上級士族に相当する。士族のエリートで国政の要職を司った。琉球では士族のことを士(サムレー)と言い、俗にユカッチュ(良かる人、の意)と言った。ただし日本の侍と違って、士は[[帯刀]]が禁じられていた。それゆえ、士は戦争を目的とした階級ではなく、概念的には官吏に近い。
 
[[親方 (沖縄)|親方]]になると、原則として一間切を采地として賜り、[[総地頭]]と呼ばれた。しかし、これは建前で実際は采地の不足から、親方位であっても脇地頭にとどまる場合が多かった。脇地頭とは、間切内の一村を采地として賜る地頭職のことである。この場合は脇地頭親方と呼ばれた。『琉球藩雑記』([[明治6年]])によれば、王朝末期の時点で総地頭職にある親方が14名であるのに対して、脇地頭親方は38名と実に2倍以上に上っている。
 
[[親雲上]](ペークミー)は、一村を采地として賜り、脇地頭の職についた。黄冠を戴いた。親方、親雲上(ペークミー)とも、普通はその采地名から、それぞれ浦添親方、知花親雲上などと称するが、采地名が王子領と一致をする場合は同一の呼称をさけた。具体例で言えば佐敷間切の地頭が森山と、中城間切の場合は伊舎堂と称したごとくである。親方と地頭職にある親雲上の邸宅は[[殿内|殿内(トゥンチ)]]と呼ばれ、その家柄を言う場合には、一般に豊見城殿内(とみぐすくどぅんち)や儀間殿内(ぎまどぅんち)という言い方をした。
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