「大槻快尊」の版間の差分

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==来歴==
[[愛知県]][[海部郡 (愛知県)|海部郡]]甚目寺村(現・[[あま市]])生まれ。幼年の時期に[[出家]]し[[真言宗智山派]]の僧籍を持つ。日本において最も早い時期に、欧米の[[実験心理学]]を紹介した人物の一人である<ref name="nakamura1982">{{Harv|中村元・監修|1982}}</ref>。
*[[1906年]]、[[元良勇次郎]]、[[福来友吉]]の元で、[[東京大学|東京帝国大学]]文学科、大学哲学科心理学専修を終え[[学士|文学士]]を修める。同大学の助手をつとめた。
*[[1909年]]、[[心理学通俗講話会]]の設立に参画。
*[[1911年]]、日本初の本格的な心理学専門書とされる'''實験心理學'''{{Harv|大槻|1911}}の著作を刊行する。 日本初の心理学の準学術誌である『[[心理研究]]』([[1912年]]創刊)の編集に参画<ref>『近代日本哲学思想家辞典』{{Harv|中村元・監修|1982}}によると「1911年『心理研究』の編集に参画」とされている。</ref>。「もの忘れの心理」など多数の論文を寄稿する。
*[[1920年]]、[[大須観音|大須宝生院]]住職へ就任とともに学究生活を離れてからは、愛知県[[方面委員|方面委員助成会連合会]]や名古屋[[少年審判所]]嘱託[[少年保護司]]としても尽力をかす。
*1936年、[[遷化]]。生前の功績をたたえられ[[僧正|權大僧正]]の僧位が送られる<ref name="homen" />。
 
== 著作 ==