「阪神601形電車」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
210. (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
21行目:
その後、[[1954年]]の[[阪神3011形電車|3011形]]に始まる大型車の導入により、他の小型車同様ドア部分に張り出し式のステップが取り付けられ、[[1956年]]までに左幕板部への尾灯の増設が行われた。また、同年9月4日に[[新在家駅]]構内で発生した衝突事故によって605と617が大破、617は即日廃車されたほか、605も[[1957年]]2月に廃車された。しばらくは1001形各形式とともに普通や伝法線での運用を中心に、ラッシュ時の区間急行や準急運用にも投入されていたが、大型車の増備が進むにつれて、車齢の高い本形式は701,1001形に次いで置き換えの対象となり、1959年12月にまず5両<ref>内訳は606,611,614,618,620</ref>が廃車され、翌[[1960年]]2月には6両<ref>内訳は604,607,609,610,613,615</ref>が廃車された。残る7両<ref>内訳は601~603,608,612,616,619</ref>は3月と5月に[[休車]]となったが、9月のダイヤ改正で昼間時の普通のダイヤが「[[ジェットカー]]」の性能に合わせたダイヤとなり、朝夕もジェットカーと1101系各形式<ref>1101,1111,1121,1141形の総称</ref>でまかなえるために復帰の余地はなく、12月に全車廃車された。
 
なお廃車後609,610が[[淡路鉄道|淡路交通]]へ、604が[[野上電気鉄道]]へ譲渡された。どちらの路線でも全線廃止まで使用されたが、中でも、野上電鉄モハ24号となった604号は、同社線の廃止後元1100形ともども阪神に返還され、[[尼崎センタープール前駅]]近くの高架下にある阪神の施設で保存されている。阪神返還時に阪神の旧塗装(茶色)に塗り替えられているが、集電装置や台車は、野上電鉄時代のもの(Z型パンタ・南海中古の1067mm台車)となっている。
 
通常は公開されていないが、公道から金網越しに見る事が出来る。1999年3月20日に開催された5261形引退記念イベント<ref>抽選で200名ほどが参加出来た。『[http://ta.sakura.ne.jp/~sakura/maroon/jpr/hanshin/hs990320_2.html ~ 5261と振りかえる阪神電車の昔 ~-Part.2-(マルーンの疾風)]』</ref>と、2010年10月9・10日、11月13・14日に開催された「21世紀の尼崎運河再生プロジェクト・レンタサイクル社会実験」<ref>『[http://web.pref.hyogo.jp/press/press_s_hanshin_00000319.html 兵庫県2010年9月記者発表資料 「21世紀の尼崎運河再生プロジェクト レンタサイクル・オープンカフェ社会実験」の実施について]』案内チラシ(PDF)に記載がある。</ref>の際に一般公開された。