「淡路鉄道」の版間の差分

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*'''モハ1000型 1010号''' - 1011号とともに1956年、南海から譲渡。旧南海電8型132号で1924年梅鉢鉄工製。正面5枚窓ダブルルーフの木造車であった。120号、158号、705号と改番を重ね、淡路入線時は1025号であった。定員90名(座席56名)、自重31.50t、制御器日立PR-200=N5型総括式、台車はブリル27MCB2、電動機はGE-218B,52KW×4、ギア比22:65。1957年早くも昭和車両において半鋼体化。最大寸法長さ15900×高さ2542×幅4300mm、定員90人(座席52人)、自重33.0t、正面3枚窓貫通化というまとまった外見になる。1956年電磁直通ブレーキを装備、自重が33.2tとなる。
*'''モハ1000型 1011号''' - 1956年南海から譲渡。旧南海電5型120号で1921年川崎造船製。前述の1004・1005と同形式。108号、528号、718号、703号、1027号を経て淡路に入線。1957年、1010号とともに半鋼体化。以降は1010号や1005号と組んでいた。
*'''モハ600型 609号、610号''' - 1961年、[[阪神電気鉄道|阪神電鉄]]から1924年[[藤永田造船所]]製[[阪神601形電車|609号、610号]]2両をもらい受け、台車や部品を自社工場で調達して走らせた。609号は旧1002号の台車加藤製ボールドウィン、610号はクハ101のブリル27GE1を流用、電動機はTDK30型53KW×2を制御器はGE社PC-5型をそれぞれ2両とも使用したが、制動器は阪神時代のままAMAだったので、他車とは連結できなかった。正面5枚窓貫通式の独特の前面を持ち阪神時代の面影を強く残していた。なお、初めはモハ1012・クハ103号にする予定で(のち両車とも電動車化して<!--クハ103は-->1013号に変更)あったが、既に4か所も釘抜き番号が装備されていたことから、あえて改番にも及ばないとして変更しなかった。
*'''クハ100型 101号''' - 元はモハニ1001号、1953年クハとなる。最大寸法長さ15328×高さ2640×幅3550mm。自重19t、定員100人(座席65人)。1961年廃車。
*'''クハ110型 111号''' - 元キハニ2号、1952年クハとなる。福良側運転台撤去により定員が90人(座席36人)に増加、自重13.0tとなる。さらに1957年、手荷物室撤去、福良側の貫通幌設置、運転室の拡大、乗務員扉増設などの改良を行い、2006号と組んでいた。