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'''アブディ・アシルタ'''(Abdi-Aširta,Abdi-Ashirta,Abdi-Aschirta ないし Abdi-Ašratu)は、南[[シリア]]のアムル王国(→[[アムル人]])の君主。
治世は前
当時[[エジプト新王国]]/[[エジプト第18王朝]]時代。シリア地方には無数の小王国が分立していた。ハラブ([[アレッポ]])、[[ウガリト]]、[[アララハ]]、[[エブラ]]、[[カトナ]]、[[カデシュ]]、グブラ([[ビブロス]])、[[ダマスカス]]、ウルサリム([[エルサレム]])そして、[[アムル]]などである。
[[アマルナ文書]]には、「エジプトの臣下」と称しながらヒッタイト王[[シュッピルリウマ
なお、アブディ・アシルタの死についても、アマルナ文書中のエクナトン宛てリブ・アッダ書簡 EA 101に言及あり。アブディ・アシルタの後継者はその子ら、プバフラ、ニクメパ、アズィルである。
[[de:Abdi-Aširta]]
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