「シリアの歴史」の版間の差分

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'''[[シリア]]の歴史'''を記す。この地域は世界的にも歴史の古い土地であり、古代[[古代オリエント]]時代においても[[メソポタミア]]、[[アッシリア]]、[[バビロニア]]、さらに[[古代ギリシア|ギリシア]]・[[古代ローマ|ローマ]]、[[ビザンチン帝国]]と支配者がめまぐるしく変わり、今のように[[イスラム世界]]に入ってからも、[[ウマイヤ朝]]、[[アッバース朝]]、[[セルジューク朝]]、などの各王朝から[[モンゴル人]]の[[イル汗国]]、[[オスマン帝国]]と支配者は変わった。近代には列強の争いの舞台となるなど、人類史の縮図といっていい。
 
==概史 ==
 
その後紀元前15世紀に[[ミタンニ王国]]が成立。紀元前13世紀には[[アッシリア]]がミタンニ王国を滅ぼした。一方、海岸部では[[フェニキア人]]の植民が展開された。[[海の民]]によりヒッタイトが滅亡すると[[アラム人]]の小国が乱立。その後はアッシリアが[[ティグラト・ピレセル3世]]などの優秀な指導者によって勢力を増し、紀元前735年[[アッシリア]]が統一。紀元前732年には北に位置する騎馬民族[[スキタイ]]に押されて南下した[[キンメリア]]人の侵攻を受けた。その後、アッシリア最後の偉大な王とされる[[アッシュールバニパル]](在位:紀元前668年 - 紀元前627年頃)が即位し、'''ニネヴェ図書館'''と呼ばれる図書館を建造して数万点に及ぶ粘土板を保管した。これらは今のメソポタミア史を研究する上で絶大な影響力を持つ。
だが彼の死後、急速に衰退したアッシリアは[[紀元前612年]]に[[新バビロニア]]と[[メディア]]の攻撃を受けて滅亡。そして[[新バビロニア]]、[[メディア]]、[[リディア]]、[[エジプト]]などの強国が乱立するが、[[アケメネス朝|アケメネス朝ペルシア]]の[[キュロス2世]]がメソポタミア地域の統一、続く[[カンビュセス2世]]が[[古代エジプト]]を制圧し、ついにメソポタミア[[古代オリエント]]世界全域の支配に成功した。
 
===ギリシアとローマの支配 ===
 
アケメネス朝ペルシアの支配は長く続いたが、[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]率いる[[マケドニア王国]]の征服を受けると、急速にギリシア化が進んだ。[[紀元前321322には]]の[[ディアドコイ戦争]]でアレクサンドロス帝国は分裂し、[[紀元前301年]]に[[セレウコス朝|セレウコス朝シリア]]が建国された。セレウコス朝シリアはインドからイランをへてトルコにいたる広大な領土を持っていたが、[[紀元前200年]]ころから[[パルティア|アルサケス朝パルティア]]、[[グレコ・バクトリア王国]]の侵食を受け縮小。さらに[[ポエニ戦争]]にかかわったことから[[古代ローマ]]([[共和政ローマ]])[[ローマ・シリア戦争]]などで交戦状態となり、って衰退してゆき、[[紀元前64年]][[ローマ帝国]]に併合された。
 
{{main|シリア属州}}
ローマ帝国の支配下では[[パルミラ]]など諸都市が大いに栄えた。ローマ帝国が東西に分裂するとシリアは[[東ローマ帝国]]の版図に入る。
 
===イスラム圏へ===
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