「一式双発高等練習機」の版間の差分

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== 墜落機 ==
[[2010年]](平成22年)8月、[[青森県]]/[[秋田県]]の[[十和田湖]]湖底の地形調査を行っている会社によって、一式双発高等練習機が沈んでいるのを確認したとの報道があった。[[1943年]](昭和18年)9月27日に同湖に墜落した北部第74部隊([[北方軍]]指揮下の内地部隊の[[通称号]])所属の機体とみられている。墜落当時、乗員4名([[少年航空兵|少年飛行兵]]3名と教官役の[[整備兵]]1名)のうち少年兵1名が、たまたま湖に漁に出ていた近くの旅館主(翌年に[[召集]]され[[シベリア抑留]]生活で亡くなった)に救出されホテルへ送り届けられた。墜落地点は最も水深の深い「中湖」で、漁をしていた場所から20分程度要するため到着した時には既に機体は沈み全員の救出は困難だった。現代になって当時13歳で墜落の一部始終を目撃した旅館主の息子が宿泊中の地形調査会社の者に墜落地点などを詳しく話したところ探索が開始され機体を発見した。機体の引き上げに関して話し合いを進めていた<ref>[[テレビ朝日]]『[[スーパーモーニング]]』2010年8月13日放送、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』2010年8月17日放送</ref>が、2012年9月3日に湖底からの引き離しに成功した。今後、造船所まで台船ごと運んで引き揚げ予定。引き揚げ後はレストアを行い[[三沢航空科学館]]での展示が検討されている<ref>[http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2012/20120904084552.asp?fsn=eb33f76037153e93cde084f7e7644d6f 旧陸軍機 湖底から引き離し成功。]東奥日報)] 2012年9月5日閲覧</ref>。