「琉球の位階」の版間の差分

===一般士族===
[[Image:Wedding_Scene.jpg|right|thumb|『婚姻風俗図』(比嘉華山、1868-1939)。赤冠を戴いた士族の新郎が花嫁のところへ向かう様子を描いたもの。]]
正五品以下の士族は一般士族に相当する。一般士族とは采地を持たない無録士のことで、琉球では「ブンニン」と呼んだ<ref>『沖縄門中大事典』68頁参照。</ref>。五品、六品に昇るのにも大変な努力が必要であったが、さらに四品以上の上級士族に昇格するのは、困難を極めた。
 
一般士族には、'''里之子家'''(里之子筋目)と'''筑登之家'''(筑登之筋目)という二つの家格があった。里之子家は中級士族、筑登之家は下級士族に相当する。里之子家では、'''子''' → '''里之子''' → '''里之子親雲上''' → '''親雲上'''と出世していくのに対して、筑登之家では'''子''' → '''筑登之''' → '''筑登之親雲上''' → '''親雲上'''と出世していった。初位はいずれも子である。
 
里之子家と筑登之家の家格は固定したものではなく、筑登之家出身であっても功績を積めば親方位まで昇ることができた。その場合、里之子家に昇格した。また里之子家も功績がなければ、筑登之家へと降格した。[[譜代]]とは古くからの士族の家柄、新参とは新たに士族になった家柄のことを言う
 
[[譜代]]とは古くからの士族の家柄、新参とは新たに士族になった家柄のことを言う。具体的には1689年の家譜編纂の時に、[[尚寧王]]代以前から仕官していた家柄を譜代とし、その後の仕官者、またそれ以前から仕官していても[[天啓]]・[[崇禎]]年間(1621年 - 1640年)に子孫が仕官していなければ新参とされた<ref>『沖縄大百科事典』下、「譜代」の項、369頁参照。</ref>。
 
新参はほかに、訴後れ(うったえおくれ)、勲功、献金によって士族となった家柄もあった。「訴後れ」とは、1690年の家譜給賜の時点で士族と認められず、のちに申請した者達、具体的にはかつて仕官していた者やその子孫、田舎に下っていた者、進貢船の船員、近郊間切の地方役人等のことである<ref>『沖縄大百科事典』「新家譜」の項、475頁参照。</ref>。勲功は王府に功績にあった平民、献金は王府に多額の金銭(銅銭16万貫)を納めた者や私費で公共工事を行い、王府より認められた者達のことである。
 
*'''里之子親雲上'''(サトゥヌシペーチン)
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