「ムハンマド・クリー・クトゥブ・シャー」の版間の差分

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'''ムハンマド・クリー・クトゥブ・シャー'''(アラビア文字表記:محمد قلى قطب شاه;ローマナイズ表記:Muhammad Quli Qutb Shah、[[1566年]] - [[1612年]])は、[[ゴールコンダ王国]]の第5代の王(在位:[[1580年]] - [[1612年]])。
 
この王の治世下は、長らく平和で繁栄に満ちたものであった。まさに、ゴールコンダ王国の絶頂期をもたらした王とされる。彼は15歳で王位を継承した。彼は[[ハイデラバード]]を見出し、王国の偉大なる王都として計画・建設した。この新都命名に関する逸話は、とても有名である。

また、彼は南方のヴィジャヤナガル王国に対してもたびたび侵攻している。

彼は、父王[[イブラーヒーム・クリー・クトゥブ・シャー]]と同じく、[[テルグ語]]を[[アラビア語]]や[[ペルシア語]]と同様に奨励した。彼自身も優れたテルグー語詩人であり、その伝統文化や祭典を保護した。彼はまた、デカン様式の詩韻を最初に確立した事でも知られている。
 
彼の治世は32年の長きにわたるものであったが、彼自身は40歳代後半で没してしまった。彼はまさに王の中の王であるとともに、偉大な建築家であり、文学者でもあった。一人娘ハヤート・バフシュ・ベーガムは、王位を継いだ彼の甥でもある[[スルタン・ムハンマド・クトゥブ・シャー]]に嫁している。