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独自の考え方ではありません。日本の有史以来、接続詞を多用することは日本語としておかしいと言う確信があります。理由も説明できますが、ここでは割愛させて頂きます。「荒らし」行為であると決定づけることは無視をやっていることであると思いますが? 例えば、しかし、を多用することは嶋田さんに失礼であると思いませんか? 日本人であればわかることであると思います。接続詞を多用することは、客観的である文や情報を無視することであり、ウィキペディアは公共的であるウェブサイトと言いながら、偏っていることになります。
Muyoさんはどこの国の方ですか?何の権威をお持ちですか?お答え下さい。--[[利用者‐会話:27.94.179.28]]
:「日本語としておかしい」、裏を返せば「正しい日本語」に対する考え方は人様々です。日本語に対する信念を持つのは自由ですが、文意を変えたり、読みにくくしたりしてまで自分の信念を押し通さないように。よろしくお願いします。--[[利用者:Muyo|Muyo]]([[利用者‐会話:Muyo|会話]]) 2012年9月8日 (土) 11:19 (UTC)
 
信念ではありません。勝手に信念であると決めつけないで下さい。接続詞は接続詞であり、無意味な接続詞を多用することにより、文意が変わることもあり、読みにくい場合があります。そちらこそ、自分の信念をウィキペディアに反映させないように、よろしくお願いします。文意がある時点で、客観視を欠き、誰でもが安全に検索できるフリー百科事典では無くなります。