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[[1991年]]にナヴィン・ラングーラムは労働党の党首となり、[[1995年]]の[[国民議会 (モーリシャス)|国民議会]]選挙で与党[[モーリシャス社会主義運動]](MSM)を破り、共和制移行後の第2代首相に就任した。[[2000年]]の国民議会選挙ではMSMに敗北、下野したが、[[2005年]]選挙では[[社会主義連盟 (モーリシャス)|社会主義連盟]]を結成して雪辱、第5代首相に就任した。[[2010年]]の国民議会選挙では、積年のライバルであるMSMなどと{{仮リンク|未来同盟|en|Alliance of the Future|}}を結成、勝利して首相の地位を守った。
 
ラングーラムの[[政策]]は、モーリシャス国民への無料交通の導入、高齢者に対する温厚政策などを行うために、モーリシャスの[[税制]]を厳罰化するなど、今までに無い[[改革]]が行われている。実権を握るラングラームと、名誉職である大統領の{{仮リンク|[[ルード・ジュグノート|en|Anerood Jugnauth|}}(Anerood Jugnauth)]]との対立が激化し、ジュグノートは2012年3月31日で辞任するに至った。<ref>{{Cite news
|url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/120330/asi12033020550003-n1.htm
|title=モーリシャス大統領辞任へ 首相と対立