「カラノス (バラモン僧)」の版間の差分

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'''カラノス'''(希:Κάλανος、ラテン文字転記:Calanos、[[紀元前396年]]-[[紀元前323年]])は[[紀元前4世紀]]の[[インド]]の[[バラモン|バラモン僧]]・[[哲学者]]である。
 
カラノスの本名はスフィロスだったが、出会った人に[[ギリシア語]]で「カイレ」(御機嫌よう)と言う代わりにインドの言葉で「カレ」と挨拶したためにギリシア人によってカラノスと呼ばれたという<ref>プルタルコス, 「アレクサンドロス」, 65</ref>。[[アレクサンドロス3世]]は[[タクシラ]]に着いた時、インドの「裸の哲学者たち」のうち誰かを自分の軍に同行させたいと思った。他の者は拒否したが、カラノスだけが説得の結果同行することになった。「[[メガステネス]]の記すところではこのカラノスは、わけても自制心を欠くとされており、仲間の哲学者たちも彼が、自分らといっしょにいることの幸福を見捨て、神ならぬ別の主人に仕えることにしたとして、カラノスを誹ったという」<ref>アッリアノス, VII. 2</ref>。カラノスは[[ペルシス]]に入った時に衰弱してきたが、病人として養生せず、むしろ何らかの病にかからないうちに自ら命を絶とうと考えた。彼はアレクサンドロスの協力を得て火葬堆を立て、[[リュシマコス]]に馬を譲るなど形見を弟子たちに分けた後、生きたまま火葬された<ref>ibid, VII. 3</ref><ref>ストラボン, XV. 1. 4</ref>。その時カラノスは73歳だったという<ref>ディオドロス, XVII. 107</ref>。アレクサンドロスはカラノスを讃えて音楽と馬術、体育の競技祭と酒飲みコンテストを開催した<ref>アイリアノス, II. 41</ref><ref>アテナイオス, X. 437a</ref>。また、カラノスはアレクサンドロスに、各地を長く放浪するのではなく、支配の真ん中を押さえるべきだという支配のモデルを示したとも言われる<ref>プルタルコス, 「アレクサンドロス」, 65</ref>。
== 註 ==
 
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*[[ストラボン]]著、飯尾都人訳、『ストラボン ギリシア・ローマ世界地誌 II』、[[龍溪書舎]]、1994年
*[[プルタルコス]]著、[[村川堅太郎]]他訳、『世界古典文学全集 プルタルコス』、[[筑摩書房]]、1966年
*[http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Diodorus_Siculus/home.html ディオドロスの『歴史叢書』の英訳]
 
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