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*[[NTT東日本関東病院]]に助産師として4週8休、月8日の宿直勤務もこなしながら選手として活動<ref name=zakzak/><ref name=zakzak2>{{Cite news|newspaper=夕刊フジ|title=ぴいぷる|url=http://www.zakzak.co.jp/people/archive/20090210.html|date=2009-2-10}}</ref><ref name=nikkeiwol>{{cite web|author=日経ウーマンオンライン|title=『走れ!助産師ボクサー』世界チャンプは助産師さん!|url=http://wol.nikkeibp.co.jp/article/wolinfo/20111027/114804/|accessdate=2012-2-26}}</ref>。
*所属はワタナベジムだが、[[小関桃]]らが所属する青木ボクシングジムの有吉将之会長の指導を受けており、[[坂田健史]]が青木ジムに出稽古に行った際、スパーリングを希望したというエピソードがある<ref>{{Cite web|url=http://ameblo.jp/stanbox7/entry-10480395543.html|title=坂田健史vs青木ジム・道場破り!?|author=BOXING MASTER|accessdate=2012-3-8}}</ref>。
*ワタナベジムに所属するもうひとりの女子ボクサーである[[江畑佳代子]]は高校の同級生でもある<ref name=watanabe>{{Cite web|publisher=ワタナベボクシングジム|url=http://www.watanabegym.com/interview/|title=ワタナベジム初の世界王者・富樫直美、引退へ|accessdate=2012-8-9}}</ref>。
*母からはボクサーになることを反対されており、プロテスト合格時には打ち明けていたものの、世界王座挑戦の際には「韓国旅行に行く」と伝えていた<ref name=mainichi>{{Cite news|newspaper=毎日新聞|title=スポドルッ!|url=http://mainichi.jp/enta/sports/graph/spodol/029/|date=2009-7-2}}</ref>。
*[[アロマテラピー|アロマセラピスト]]の資格も取得している<ref name=mainichi/>。
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第2回女子アマチュアボクシング東京都大会フライ級で初の大会出場も、準決勝で敗退<ref group="注釈">優勝は[[四ヶ所麻美]](当時は柳瀬姓)</ref>。
 
[[2004年]]、[[江畑佳代子]]から勧められワタナベジムに移籍<ref name=mainichi/><ref name=watanabe/>。
 
[[2005年]]に第3回[[全日本女子アマチュアボクシング選手権大会|全日本女子アマチュア大会]][[ピン級]]1優勝、[[2007年]]も[[ライトフライ級]]B制覇を果たす活躍を見せる。
 
[[北京オリンピック]]を目標としたが、正式採用されず一度はグ転向ーブを吊るした。アマチュア戦績20戦16勝4敗。
 
=== プロデビュー ===
2007年、青木ボクシングジムの有吉将之マネージャー兼トレーナー(当時)の誘いを受けて[[世界ボクシング評議会|WBC]][[ミニマム級|ストロー級]]の元世界王者[[菊地奈々子]]とスパーリングを行い、プロ転向を決める。JBCの女子公認に先駆け、11月17日に[[タイ王国|タイ]]でプロデビューを果たしWBCアトム級世界王者[[ウィンユー・パラドーンジム]]と対戦歴のあるパンダー・オーユタチャイに3回KO勝利。
 
[[2008年]][[2月28日]]、JBC第1回プロテストでB級ライセンスに合格。
 
2008年[[5月9日]]、[[後楽園ホール]]で行われた[[日本プロボクシング協会|JPBA]]女子プロボクシング立上げ記念興行「[[G Legend]]」のセミ前で[[日本女子ボクシング協会|JWBC]]時代の2階級チャンピオン[[天心アンリ]]([[アルファボクシングジム|山木]])と[[ミニマム級|ミニフライ級]]で対戦。2回終盤にダウン寸前まで追い込み、アンリはインターバル中に棄権。国内での初戦をTKOで飾った。敗れたアンリはこの試合を最後に引退。
 
2008年[[6月8日]]、[[世界ボクシング評議会|WBC]]女子ライトフライ級タイトルマッチ前哨戦としてペットプラカーン・トーヌンタナ(タイ)と8回戦を戦い1回TKOで退ける。[[新宿FACE]]という小会場で4回戦ばかりとはいえ、国内で初めて男子をアンダーカードにして女子の試合がメインイベントに抜擢された。
 
=== 世界王座獲得 ===
2008年[[7月13日]]、[[大韓民国|韓国]][[京畿道]][[高陽市]]で[[世界ボクシング評議会|WBC]]女子世界[[ライトフライ級]]王者[[サムソン・トー・ブアマッド|サムソン・ソー・シリポン]](タイ)が負傷のために設けられた[[暫定王座]]決定戦に同級世界3位として同級世界6位の金珍(韓国)を3-0(97-94、99-92、96-94)の判定で下し王座獲得。暫定ながらJBC女子公認後<ref group="注釈">それより前に[[天海ツナミ]](山木)が[[国際女子ボクサー協会|IFBA]]王座を獲得しているが、IFBAはJBC公認のタイトルではない。</ref>、そしてワタナベジムから初の世界王者となった。日本人選手による海外での世界王座奪取は1992年4月10日にメキシコで奪取した[[平仲明信]]以来16年ぶり、32歳11ヶ月13日での王座獲得は当時としては[[越本隆志]]に次いで第2位であった(2012年3月現在は第4位)。このタイトルマッチは当初アンリが出場する予定だったが、アンリを破った富樫が代わりに挑戦することになった<ref>{{Cite web|url=http://www.sports-times.jp/2008/05/200805071209.html|title=女子プロボクサー アンリの練習風景@山木ジム|author=Sports Times|accessdate=2012-3-10}}</ref>。
 
2008年[[8月14日]]、後楽園ホール興行でタレントの[[古条彩華|竹内綾香]]との[[エキシビション|エキシビションマッチ]]を行う。
 
=== 世界王座防衛 ===
2008年[[12月8日]]、後楽園ホールで行われた「[[ダイヤモンドグローブ]]」にて[[小関桃]](青木) vs 金慧珉(韓国)との女子ダブル世界戦として1階級下であるストロー級の元世界王者[[菊地奈々子]]([[白井・具志堅スポーツジム|白井・具志堅スポーツ]])相手に初防衛戦を行い、JBC女子公認後の世界戦として初の日本人対決となった。試合はいきなり1Rに菊地の右ストレートを喰らい、プロ初のダウンを喫したが、8R終了時の公開採点で三者三様となるまで盛り返し、9Rに菊地が目を負傷して、10R21秒でレフェリーストップとなり逆転TKOで2度目の防衛に成功した。
 
初防衛直後の[[12月10日]]、前王者サムソン・ソー・シリポンが防衛戦を行うことが困難になったため王座返上。これにより、同日付で富樫が正規王者に昇格。日本人世界王者で暫定から正規に昇格したのは男子も含め富樫が初めてである<ref group="注釈">WBC世界[[スーパーバンタム級]]王者の[[西岡利晃]]の昇格は同年[[12月20日]]</ref>。品川区民栄誉賞受賞{{要出典|date=2009年10月}}。同年度より設けられた[[年間表彰選手 (ボクシング)|女子最優秀選手賞]]を受賞。