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'''ムスタンスィル'''(アラビア語: المستنصر بالله ابو جعفر منصور '''al-Mustanṣir bi-Allāh ''' Abū Ja?far Manṣūr、[[1192年]] - [[1242年]][[12月5日]])は、[[アッバース朝]]第36代の[[カリフ]](在位[[1226年]] - [[1242年]])である。[[ザーヒル]]の子。
 
1226年、父の死後に即位する。彼の治世は平穏であり、[[キャラバンサライ|隊商の宿泊施設]]を多く建設して交易を促進したことで物資が領内に行き渡った。この頃になると[[モンゴル帝国]]の進出が[[イラク]]にまで広がるようになり、ムスタンスィルは{{要出典範囲|date=2011年6月|対[[モンゴル帝国|モンゴル]]戦を[[聖戦]]として戦おうとしたが、その用意を整えている大事なときになって急死した。}}
<!-- 初版を投稿された方が参考にしたと思われるWebサイトに同様の記述がありますが、大元の文を書かれた方が参考にした書籍が分からないので。 -->
 
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== 参考文献 ==
* イブン・アッティクタカー『アルファフリー―イスラームの君主論と諸王朝史』2巻([[池田修 (学者)|池田修]]、岡本久美子訳,[[東洋文庫 (平凡社)|東洋文庫]], 平凡社.2004、2004年9月)
 
== 関連項目 ==
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{{先代次代|[[アッバース朝]]|[[1226年]] - [[1242年]]|[[ザーヒル]]|[[ムスタアスィム]]}}
 
{{デフォルトソート:むすたんすいる}}
[[Category:アッバース朝の君主]]