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'''中畠 晴時'''('''なかはた はるとき''')、(1570年~1590年)は、[[中畠晴常]]の子で[[中畠晴辰]]の弟。大学介。
 
[[白河結城氏]]一門。晴辰の養子となり跡を継ぐ。奥州に進軍する[[豊臣秀吉]]に同調せず、天正17年(1589年)秀吉が会津に向かった際、勢至堂峠の馬尾滝で秀吉を銃で狙撃する。弾を逸らし、秀吉殺害に失敗した晴時は隈井姓に変えて身を隠した。天正18年(1590年)、晴時は蒲生氏郷に従い九戸政実の乱(九戸一揆)に出陣し、討死した。幼少の子の晴倶は家臣の相楽氏にかくまわれ成長したので相楽氏を名乗り、のち会津に入った[[加藤嘉明]]に仕えたという。さらにその後子孫は[[水戸藩]]に仕え、結城姓に復した。