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'''入矢 義高'''('''いりや よしたか'''、
1910年、[[鹿児島県]]に、英語教師の入矢祐雲の長男として生まれる。[[京都大学]]に入るも父の意向でドイツ文学から中国文学へと転向し、[[倉石武四郎]]の教えを受ける。卒業後は東方研究所(のちの人文科学研究所)に入って、中国文学の口語研究を進め、特に禅籍における口語研究を極めて第一人者となる。[[名古屋大学]]、京都大学、[[京都産業大学]]、[[花園大学]]の教授を歴任し、また、数々の語録研究会を主催して後進の指導に当たる。
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