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'''杉田 玄白'''('''すぎた げんぱく'''、男性、[[享保]]18年[[9月13日 (旧暦)|9月13日]]([[1733年]][[10月20日]]) - [[文化 (元号)|文化]]14年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]([[1817年]][[6月1日]]))は、[[江戸時代]]の[[蘭学]]医。杉田玄甫の子。[[若狭国]][[小浜藩]]医。翼(たすく)、子鳳。
 
[[江戸]]に生まれ、西玄哲や宮瀬竜門に[[医学]]を学ぶ。[[1771年]]([[明和]]8年)に、[[前野良沢]]、[[中川淳庵]]、[[桂川甫周]]らとともに[[小塚原]]刑場([[東京都]][[荒川区]][[南千住]])で死体の腑分け([[解剖]])を実見し、[[オランダ語]]の医学書『[[ターヘル・アナトミア]]』を和訳し、[[1774年]]([[安永]]3年)に『[[解体新書]]』として刊行した。回想録として『[[蘭学事始]]』を執筆し、後に[[福澤諭吉|福沢諭吉]]により公刊される。他の著書に『形影夜話』ほか。