「木屋町通」の版間の差分

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{{Redirect3|木屋町|[[京都市]]の南北の通り}}
[[ファイル:高瀬川2583.JPG|thumb|200px|木屋町通と高瀬川]]
 
[[ファイル:高瀬川2583.JPG|thumb|200px400px|木屋町通と高瀬川]]
[[ファイル:角倉了以2894.JPG|thumb|200px|木屋町通・角倉了以顕彰碑]]
[[ファイル:大村益次郎2919.JPG|thumb|200px|木屋町通・大村益次郎遭難の碑]]
[[ファイル:佐久間象山2923.JPG|thumb|200px|木屋町通・佐久間象山遭難の碑]]
'''木屋町通'''、'''木屋町通り'''(きやまちどおり)は、[[京都市]]の南北の[[京都市内の通り|通り]]の一つである<ref name="jisen_木屋町">[[#外部リンク|''木屋町'']]、[[デジタル大辞泉]]、[[コトバンク]]、2012年9月13日閲覧。</ref><ref name="yahoo_木屋町">[[#外部リンク|''木屋町'']]、[[Yahoo!辞書]]、2012年9月13日閲覧。</ref><ref name="yahooDC_木屋町">[[#外部リンク|''木屋町'']]、[[Yahoo!百科事典]]、2012年9月13日閲覧。</ref>。北は[[二条通]]から南は[[七条通]]まで、全長約2.8キロメートルの道路である<ref name="jisen_木屋町" />。[[先斗町]]の西にあり、[[高瀬川 (京都府)|高瀬川]]の東側に沿って[[中京区]]・[[下京区]]を貫通する<ref name="jisen_木屋町" />。
'''木屋町通'''(きやまちどおり)は、[[京都市]]の南北の通りの一つ。
北は[[二条通]]から南は[[七条通]]まで。[[先斗町]]の西にあり、[[高瀬川 (京都府)|高瀬川]]の東側に沿っている。
 
略称'''木屋町'''(きやまち)は、東西の通り名と合わせて頻用され、また通り沿い・高瀬川沿いの[[二条通|二条]]・[[五条通|五条]]間の地域を「木屋町」と通称する<ref name="yahooDC_木屋町" />。
[[三条通]]から南では一部を除き高瀬川西岸に'''西木屋町通'''が並走する。
 
[[三条通]]から南では一部を除き高瀬川西岸に'''西木屋町通'''(にしきやまちどおり)が並走する。
== 歴史 ==
[[慶長]]年間の[[角倉了以]]の高瀬川開削に伴って整備された。
開通当時は、「樵木町」(こりきまち)と呼ばれていたが、[[高瀬舟]]が運んでくる材木の倉庫が立ち並ぶようになったため、いつしか「木屋町」という名称に変わったという。木屋町周辺に残されている紙屋町、鍋屋町、米屋町などの地名は、当時の賑わいを彷彿させる。
 
== ==
[[江戸時代]]中頃にはこの通りを往来する旅人や商人を目当てに、料理屋や旅籠、酒屋などが店を構えるようになり、酒楼娯楽の場へと姿を変えた。[[幕末]]には勤皇志士が密会に利用したため、[[坂本龍馬]]や[[木戸孝允|桂小五郎]]らの潜居跡や事跡の碑が繁華街のあちこちに立っており、[[大村益次郎]]や[[本間精一郎]]、[[佐久間象山]]などが殉難している。
[[慶長|慶長年間]](1596年 - 1615年)の[[角倉了以]]の高瀬川開削に伴って、1611年(慶長16年)に二条樵木町(現在の中京区上樵木町付近)を起点に開通した<ref name="yahoo_木屋町" />。開通当時のこの通りは、「'''樵木町'''」(こりきまち)と呼ばれていた{{要出典|date=2012年9月|}}。
 
[[江戸時代#江戸時代初期・前期|江戸時代初期]](17世紀)、[[大坂]](現在の[[大阪府]][[大阪市]])や伏見(現在の京都市[[伏見区]])から[[薪|薪炭]]・[[木材]]が[[高瀬舟]]に積まれて集まり、[[材木問屋]]・[[材木商]]が倉庫や店舗を立ち並べるようになったため、「木屋町」と呼ばれた<ref name="yahoo_木屋町" /><ref name="yahooDC_木屋町" />。木屋町周辺に残されている材木町、紙屋町、鍋屋町、米屋町などの地名は、{{要出典範囲|当時の賑わいを彷彿させる|date=2012年9月}}。1762年([[宝暦]]12年)に刊行された『[[京町鑑]]』には、「木屋町」を「北二条通より南五条迄」と定義し記載している<ref name="yahoo_木屋町" />。
[[1895年]]には[[二条通|二条]]~[[五条通|五条]]間に[[京都電気鉄道]](のちに買収され[[京都市電]][[京都市電木屋町線|木屋町線]])の[[路面電車]]が開通した。[[1920年代]]に[[河原町通]]が拡幅されたことにより、市電のルートは[[京都市電河原町線|河原町線]]に移った。
 
[[江戸時代#江戸時代中期|江戸時代中期]]中頃(18世紀)にはこの通りを往来する旅人や商人を目当てに、料理屋や旅籠、酒屋などが店を構えるようになり、酒楼娯楽の場へと姿を変えた。[[幕末]](19世紀)には勤皇志士が密会に利用したため、[[坂本龍馬]]や[[木戸孝允|桂小五郎]]らの潜居跡や事跡の碑が繁華街のあちこちに立っており、[[大村益次郎]]や[[本間精一郎]]、[[佐久間象山]]などが殉難している。
 
[[1895年]]には[[二条通|二条明治]]~[[五28年)には、二通| - 五条]]間に[[京都電気鉄道]](のちに買収され[[京都市電]][[京都市電木屋町線|木屋町線]])の[[路面電車]]が開通した。[[1920年代]]([[大正]]末年 - [[昭和]]初年)に[[河原町通]]が拡幅されたことにより、市電のルートは[[京都市電河原町線|河原町線]]に移った。
 
== 現状 ==
高瀬川の側にサクラが植栽され、歩道を場所により車道側に飛び出させて車の高速走行を押さえるなど、整備がされている。[[三条通]]から[[四条通]]までを中心に、[[喫茶店]]、[[バー (酒場)|バー]]<ref name="yahoo_木屋町" />、[[スナックバー (飲食店)|スナック]]、[[料亭]]などに加え、各国料理レストランなど所狭しと並んでいる。風俗営業店の増加に伴い、地元が治安対策の運動を行っている。特にキャバクラ呼び込みが多く風情を害している{{要出典|date=2012年9月|}}
 
[[三条通]]から[[四条通]]までを中心に、スナック、料亭などに加え、各国料理レストランなど所狭しと並んでいる。
2003年(平成15年)、京都市が地区としての「木屋町」を、「木屋町界隈」(きやまちかいわい)として「美しいまちづくり重点地区」に指定した<ref name="yahooDC_木屋町" />。
風俗営業店の増加に伴い、地元が治安対策の運動を行っている。
特にキャバクラ呼び込みが多く風情を害している。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
== 関連項目 ==
* [[高瀬川 (京都府)|高瀬川]]
* [[京都市内の通り]]
* [[河原町通]](一筋西の通り)
* [[木屋町 (京都市中京区)]](きやちょう) - 京都府京都市中京区の町丁名、本項とは別の地区
 
== 外部リンク ==
* {{Kotobank|木屋町通り|2=デジタル大辞泉}}
* [http://dic.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%9C%A8%E5%B1%8B%E7%94%BA 木屋町] - [[Yahoo!辞書]]
* {{Yahoo!百科事典|木屋町}}
* [http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/kyoto_data/nishikiya/nishikiya_file.htm 西木屋町通]
* [http://kiyamachi-bartender.com/ 木屋町バーテンダーズ]
 
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