「ジョン・マイケル・ライト」の版間の差分

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チャールズ2世は自身の宮廷にローマ・カトリック教徒を積極的に迎え入れ、ライトも芸術家として王室からの[[パトロン|後援]]を受けることになった。ライトはチャールズ2世が戴冠して間もなくの1661年にチャールズ2世の公式肖像画を描いている。[[ガーター騎士団|ガーター勲章]]のローブを身にまとって[[聖エドワード王冠]]を被り、両手には宝珠と[[王笏]]を持つチャールズ2世の肖像画で、[[タペストリー]]を背にして玉座に腰を下ろした、裁きを下す[[ソロモン]]のような威厳に満ちた姿で描かれている<ref name=CharlesII/>。ライトは他にも[[ホワイトホール宮殿]]の国王の寝室に天井画を描いている<ref>現在はノッティンガム城美術館が所蔵</ref>。その後1673年には「常任画家 (picture drawer in ordinary)」に任命され、「王室公認画家 (Pictor Regis)」のサインを使用する権利を得た。しかしながら、ライトが切望していた「国王の宮廷画家 (King's Painter)」の地位は与えられず、チャールズ2世の王政復古以来、その地位は[[ピーター・レリー]]ただ一人のものだった。ライトの作品が持っていた穏やかな写実主義と、注意深い観察から描かれた風景画を背景とした肖像画ではなく、イングランド内戦以前からイングランド宮廷でもてはやされていた[[アンソニー・ヴァン・ダイク]]の作風を受け継いだ、より華やかな表現で描かれたレリーの肖像画が宮廷では評価されていた<ref name=DNB/>。当時の官僚[[サミュエル・ピープス]]の日記にレリーの工房を訪問して楽しんだときの記録があり、「ライトもひとかどの画家に違いない。とはいえ、この二人の作品には明らかな違いがある」と記している<ref>Pepys, ''Diary'' entry for June 18, 1662, 3.113</ref>。
 
主席宮廷画家でナイト爵位まで受けたレリーとは違って、ライトはチャールズ2世から重要で意義のある地位も名誉も一切受けていない。しかしながら、ライトが素晴らしい画家だと高く評価する者もいた。1669年にライトと[[ミニアチュール|ミニチュアール作家]]サミュエル・クーパー ([[:en:Samuel Cooper]]) は[[トスカーナ大公国|トスカーナ大公]][[コジモ3世|コジモ3世・デ・メディチ]]に拝謁し、後にコジモ3世はライトの工房を訪れ、初代アルベマール公[[ジョージ・ンク (初代アルベマール公)|ジョージ・ンク]]([[:en:George Monck, 1st Duke of Albemarle]])の肖像画制作を依頼している。おそらくライトがチャールズ2世の公式肖像画を描いてからしばらく経った1673年3月3日に、マリー・レディ・ハーミスタンなる詳細不明の人物(ローマ・カトリック教徒であることは間違いない)からコジモ3世に宛てて、ライトに準男爵の地位を与えるようチャールズ2世に取り成して欲しいという奇妙な書簡が送られている。しかしコジモ3世からチャールズ2世に対してこのような申し出はまったくなかった<ref name=DNB/>。
 
[[File:Sir Neil O'Neil.jpg|left|thumb|『ニール・オニール』(1680年)<br />テート・コレクション]]