「カロライナ植民地」の版間の差分

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=== 植民地領主 ===
勅許に名前を記された植民地領主は、第2代[[クラレンドン伯爵]][[ヘンリー・ハイド (第2代クラレンドン伯爵)|ヘンリー・ハイド]]、初代アルベマール公爵[[ジョージ・ンク (初代アルベマール公)|ジョージ・ンク]]、初代クレイブン伯爵ウィリアム・クレイブン、ストラットンの初代バークレー伯爵ジョン・バークレー、初代[[シャフツベリ伯爵]][[アントニー・アシュリー=クーパー (初代シャフツベリ伯爵)|アントニー・アシュリー=クーパー]]、ジョージ・カートレット卿、ウィリアム・バークレー卿(ジョンの弟)、ジョン・コールトン卿の8人であった。8人の中で、カロライナに最も興味を示したのがシャフツベリであり、彼の秘書官であり哲学者の[[ジョン・ロック]]は批准されることのなかったカロライナ憲法を書いたとされている。ジョン・ロックの起草した基本法は、領主らの参議が立法権を掌握する貴族政を提案したものであったが、他の植民地人が対等の権利を主張したために、信仰の自由以外は定着しなかった<ref name="sr23">[[#世界の歴史21|世界の歴史21]], p23</ref>。植民地領主の他の何人かは他の植民地にも興味を示した。ウィリアム・バークレー卿はバージニア植民地に、ジョン・バークレーとジョージ・カートレット卿は[[ニュージャージー州|ニュージャージー]]植民地という按配だった。
 
植民地領主は国王の勅許によってその権威が認められていたが、独立した主権に近い形で権威を行使することができた。実際の行政府は1人の知事、半分は植民地領主によって指名される強力な行政委員会および比較的力の弱い市民に選出された議会で行われた。
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