「ミニスカート」の版間の差分

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[[1965年]]([[昭和]]40年)[[8月11日]]、[[帝人]]が日本で初めてのミニスカート「テイジンエル」を発売。[[1967年]](昭和42年)に[[野際陽子]]が[[パリ]]から帰国した際に着用していたことが話題になり<ref>「女優が語る私の人生」 [[ラジオ深夜便]]、2010年8月7日放送分。</ref>、同年に[[美空ひばり]]がミニスカート姿で『[[真赤な太陽 (美空ひばりの曲)|真赤な太陽]]』を[[歌謡番組]]で歌い、脚光を浴びた。それ以来大流行となったが、都市部の若い女性だけにとどまらず、世代を超えて全国津々浦々に広がり、[[1969年]](昭和44年)に首相・[[佐藤栄作]]の訪米に同行した首相夫人・[[佐藤寛子 (首相夫人)|佐藤寛子]]は当時62歳の年齢でミニスカートを着用した。この当時多くの女性のミニスカートはひざ丈よりやや短い程度であった。また既存のスカートの裾を自ら短くしてミニスカートに改造することも多く、その様は漫画・『[[サザエさん]]』でもしばしば描かれている。この第一次ミニスカートブームは交通機関・女性警官・[[日本万国博覧会|大阪万博]]での多くのパビリオンのコンパニオンなど女性の制服にも影響したが、[[1973年]](昭和48年)〜[[1974年]](昭和49年)頃には終焉した。
 
その後[[1982年]](昭和57年)頃の小流行を経て、[[1980年代]]末から[[1990年]]代初頭の[[バブル期]]には膝上30~35cmで「超ミニ」、「マイクロミニ」などとも呼ばれるミニスカートが流行した。この流行は[[ボディコン|ボディコンシャス]]なスタイルの流行に伴うものであり、背景には歌手、[[マライヤ・キャリー]]などの影響もあった
 
その後は若年層を除いて極端なミニスカートの流行はみられないが、スカートの丈と[[経済]]の好況不況が関連付けて論じられることもある。