「レオポルト4世 (アンハルト公)」の版間の差分

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[[ファイル:Leopold IV Anhalt.jpg|thumb|アンハルト公レオポルト4世]]
'''レオポルト4世フリードリヒ'''('''Leopold IV. Friedrich, Herzog von Anhalt-Dessau''', [[1794年]][[10月1日]] - [[1871年]][[5月22日]])は、11世紀から続くドイツの貴族[[アスカニア]]家の出身で、[[アンハルト=デッサウ]]公(在位:[[1817年]] - [[1863年]])、後に統一[[アンハルト公国]]の統治者(在位:[[1863年]] - 1871年)。
 
アンハルト=デッサウ公世子[[フリードリヒ・フォン・アンハルト=デッサウ|フリードリヒ]]とその妻でヘッセン=ホンブルク方伯[[フリードリヒ5世 (ヘッセン=ホンブルク方伯)|フリードリヒ5世]]の娘であるアマーリエの間の長男として生まれ、父が早くに死んだため、1817年に祖父の[[レオポルト3世 (アンハルト=デッサウ公)|レオポルト3世]]の後を継いだ。[[1848年革命]]の際にはデッサウ公国に憲法を制定することを余儀なくされた。この憲法は[[1849年]]には廃止されたものの、[[1859年]]には新憲法が制定されている。