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Nureginu (会話 | 投稿記録)
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== 代表歌 ==
*'''いちまいのガーゼのごとき風たちてつつまれやすし傷待つ胸は'''  『バルサの翼』
* '''バルサの木ゆふべに抱きて帰らむに見知らぬ色の空におびゆる'''  『バルサの翼』
この歌集の代表歌とされている。少年は、模型飛行機を作るため適した軽いバルサ材を買って家へ帰ろうとしている。飛行機は少年の夢を乗せて未来へ飛び立っていく夢と希望の象徴である。しかし、飛んで行くはずの空は、少年の嘗て見たことのない色に染まっている。「抱い」ているものの実現しないだろう不安と恐れにおびえている少年がいる。少年期の繊細な感性と生に内在する恐怖を歌った写実でありながら、現代に生きる人間全てに敷衍できる不安を抉った象徴的な一首。
 
*'''廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり'''  『廃駅』
*'''夜の淵のわが底知れぬ彼方にてナチ党員にして良き父がいる'''  『廃駅』
「わが底知れぬ」と詠むことによって、自己の内部の深淵と彼方にあるナチ党員をひきつけ、歴史的残虐性の人格と良き父という無辜の一市民の性格が同一人物の中に存在するという両具性を詠んだ点に卓越した力を感じる。しかし、この発想はあくまで日本人の側から、日本人の存在の意義を問うものとされている。
 
*'''うごき鈍くなりたる母とむきむきに雑煮をくひて言ふこともなし'''  『日々の思い出』
*'''佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず'''  『日々の思い出』
*'''日の丸はお子様ランチの旗なれば朱色の飯(いい)のいただきに立つ'''  『日々の思い出』
第3歌集『日々の思い出』になると作歌の方法に大きな変化が現れる。いわゆる「ただごと歌」といわれる範疇の歌を詠んでいる。第2歌集までの抒情をやめ、一見、どうでも良いような日常の茶飯事を歌っている。一首目は、小市民的な家族の日常の中に、ニ首目は、目に入る存在をそのまま捕らえようとする中に、肩を張らずに日常を詠む歌となっている。これは、年齢を重ねる中で、気が張り切って詠んできた前作までの作歌姿勢をこの際一休みし、再度抒情を目指し作歌の転換を期していく、そのための「ただごと歌」の実験のように思われる。 ちなみに、小池は旧かなで作品を発表しているが、『日々の思い出』という歌集名だけは新かなである。
 
*'''ながれゆく煙を透かしけむりのかげあはく移ろふパネルの壁に'''  『滴滴集』