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'''テュデウス'''(希:Τυδεύς、ラテン文字転記:Tydeus、[[紀元前5世紀]]後半)は[[ペロポネソス戦争]]期の[[アテナイ]]の[[将軍]]である。
 
テュデウスは[[紀元前405年]]に将軍([[ストラテゴス]])の一人に選出され、同僚の将軍たちと共に[[艦隊]]を率いた<ref>クセノポン, II. 1. 16</ref>。同年、テュデウス、[[メナンドロス (アテナイの将軍)|メナンドロス]]、[[アデイマントス (アテナイの将軍)|アデイマントス]]、[[フィロクレス]]といった将軍たちは[[アイゴスポタモイ]]にて[[リュサンドロス (提督)|リュサンドロス]]率いる対岸の[[ランプサコス]]の[[スパルタ]]艦隊と対陣した。この時、[[トラキア]]の王の許に身を寄せていた[[アルキビアデス]]からアイゴスポタモイは近くに町がなく食料を調達しにくいので[[セストス]]に移動すべきだという忠告、もし自分にも指揮権を分けてくれればトラキアの援軍を提供するという申し出を受けたが、テュデウスたちは今指揮権を持っているのはアルキビアデスではなく自分たちだ、と言って忠告と申し出を退けた<ref>ibid, I. i. 26</ref><ref>ディオドロス, XIII. 105</ref><ref>プルタルコス, 「リュサンドロス」, 10</ref>。それから数日後、食料調達のために兵士たちが船を離れた隙を突かれてアテナイ艦隊は完敗し([[アイゴスポタモイの海戦]])、フィロクレスやアデイマントスといった将軍たちを含む多数が捕虜になった(テュデウスについてはこの海戦を記録した[[クセノポン]]も[[ディオドロス]]も、リュサンドロスの伝記を書いた[[プルタルコス]]も言及しておらず、テュデウスがはたして捕えられたのか逃げおおせたのかは不明である)<ref>クセノポン, II. 1. 30</ref>。アテナイ人の捕虜に対する酷い扱いのために、捕虜を人道的に扱うべきだと主張していたアデイマントス一人を残してアテナイ軍の捕虜たちは皆処刑された。後になってアデイマントスとテュデウスはアテナイ人によってアイゴスポタモイでの敗北は彼らがリュサンドロスから賄賂を受け取ったからであるとの嫌疑を受けた(このことからテュデウスが海戦の時に逃げ延びた可能性は少なからずある)<ref>パウサニアス, X. 9. 11</ref>。しかしながら、その後のテュデウスについての情報はなく、これ以降の彼がどんな運命を辿ったのかは不明である
 
== 註 ==
 
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== 参考文献 ==
 
*[[クセノポン]]著、根本英世訳、『[[ギリシア史]]』(1)、[[京都大学学術出版会]]、1998年
*[[パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年