「安政江戸地震」の版間の差分

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== 被害の状況 ==
被災したのは[[江戸]]を中心とする[[関東平野]]南部の狭い地域に限られたが、大都市[[江戸]]の被害は甚大であった。被害は[[軟弱地盤]]である[[沖積層]]の厚みに明確に比例するもので、[[武蔵野台地]]上の[[山手]]地区や、埋没した洪積台地が地表面のすぐ下に伏在する[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]地区の大半や[[銀座 (歴史)|銀座]]などでは、大名屋敷が半壊にとどまることなどから震度5強程度とみられ、被害は少なかったが、[[下町]]地区、とりわけ[[埋立て]]の歴史の浅い[[隅田川]]東岸の[[深川 (江東区)|深川]]などでは、震度6弱以上と推定され、甚大な被害を生じた。また、[[日比谷]]から[[皇居外苑|西の丸下]]、[[大手町]]、[[神田神保町]]といった[[谷地]]を埋め立てた地域でも、大名屋敷が全壊した記録が残っているなど、被害が大きく、震度6弱以上と推定されている<ref>[http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E3E3E2E2858DE3E3E2E0E0E2E3E09180EAE2E2E2 日本経済新聞2012年2月11日付]</ref>。死者約4,300人、倒壊家屋約1万戸とされている。
 
地震後約30分後に30余箇所から出火、半日後には鎮火したが2.2km<sup>2</sup>を焼失。[[旗本]]・御家人らの屋敷は約80%が焼失、全潰、半潰または破損の被害を受けた。[[亀有]]では田畑に小山や沼が出来、その損害は約3万[[石 (単位)|石]]に上った<ref name="jiten">[[宇津徳治]]、嶋悦三、吉井敏尅、山科健一郎 『地震の事典』 朝倉書店、2001年</ref>。