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* [[アリゾナ大学]]
* [[ヒューストン・アストロズ]] (1991)
* [[クリーランド・インディアン]] (1992 - 1996)
* [[アトランタ・ブレーブス]] (1997)
* クリーランド・インディアン (1998 - 2001)
* [[シカゴ・ホワイトソックス]] (2002)
* [[サンフランシスコ・ジャイアンツ]] (2002)
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* [[ロサンゼルス・ドジャース]] (2006)
* [[テキサス・レンジャーズ]] (2007)
* クリーランド・インディアン (2007)
|選出国 =
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== 経歴 ==
=== プロ入り〜メジャーデビュー ===
{{by|1988年}}の[[1988年のMLBドラフト|ドラフト]]で[[ヒューストン・アストロズ]]から17巡目に指名を受け入団。{{by|1991年}}にAAA級でいずれもリーグ1位となる522打数・168安打・17三塁打を記録し<ref>{{Cite web|url=http://www.thebaseballcube.com/leagues/1991/PCL.shtml|title=1991 Pacific Coast League Review - The Baseball Cube|language=英語 |accessdate=2008年6月12日 }}</ref>、[[9月14日]]の[[シンシナティ・レッズ]]戦でメジャーデビューを果たした。同年は20試合に出場し打率.203、5盗塁。シーズンオフの[[12月10日]]、[[ウィリー・ブレアー]]、[[エディ・トーベンシー]]との交換トレードで、[[デーブ・ロード]]と共に[[クリーランド・インディアン]]に移籍。
 
=== クリーランド・インディアン ===
移籍1年目の{{by|1992年}}は開幕からレギュラーに定着。球団記録となる66盗塁を記録し<ref name="brcle">{{Cite web|url=http://www.baseball-reference.com/teams/CLE/leaders_bat.shtml|title=Cleveland Indians Batting Leaders - Baseball-Reference.com|language=英語 |accessdate=2008年6月12日 }}</ref>、盗塁王を獲得。[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)#ルーキー資格|ルーキー資格]]を持つ選手としてはリーグ史上[[ジョージ・ケース]]以来42年ぶりの快挙となった。[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|新人王]]の投票では[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]の[[パット・リスタッチ]]に次ぐ2位に入った。
 
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===突然のトレード〜再び古巣へ===
{{by|1997年}}に球団から5年総額4,400万ドルで契約延長を打診されるが拒否<ref name="bl1967">{{Cite web|url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Kenny_Lofton_1967|title=The Ballplayers - Kenny Lofton | BaseballLibrary.com |language=英語 |accessdate=2008年6月12日 }}</ref>。[[3月25日]]に[[デービッド・ジャスティス]]、[[マーキス・グリッソム]]との交換トレードで、[[アラン・エンブリー]]と共に[[アトランタ・ブレーブス]]に移籍。故障で40試合を欠場するが打率.333を記録。しかし前年まで5年連続で50以上を記録した盗塁は27に激減、盗塁死もリーグ最多の20と精彩を欠いた。故障の影響もあったが、走塁の方針がインディアンズとは異なり、思うように走ることができなかった<ref>「30球団マンスリー・リポート クリーヴランド・インディアンズ」『[[月刊メジャー・リーグ]]』1999年6月号、[[ベースボールマガジン]]社、1999年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-6、91項。</ref>。オフに[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]]となり、[[12月8日]]に古巣インディアンと4年契約を結び、1年での復帰となった。
 
{{by|1998年}}は[[リッキー・ヘンダーソン]]に次ぐリーグ2位の54盗塁を記録し、復活を果たす<ref name="bl1967"/>。{{by|1999年}}は[[ハムストリング]]の故障により120試合の出場に留まるが、5回目のシーズン100得点を達成。一方で、レギュラー定着以降最低の25盗塁に終わった。[[ボストン・レッドソックス]]との[[1999年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]第5戦で左肩などを負傷し、復帰は翌年のオールスターゲーム以降と思われたが、驚異的な回復で{{by|2000年}}の開幕スタメンに名を連ねた<ref name="bl1967"/>。同年はレギュラー定着後ワーストの打率.278だった一方で、自己最高の15本塁打、73打点を記録。[[8月15日]]から[[9月3日]]にかけて[[レッド・ロルフ]]のメジャー記録に並ぶ18試合連続得点を記録した<ref name="bl1967"/>。{{by|2001年}}は打率.261、16盗塁に終わる。4年契約を満了し、[[11月5日]]にフリーエージェントとなった。
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{{by|2006年}}は打率.301、12三塁打、32盗塁を記録し、盗塁成功率86.4%と健在ぶりを示した、[[12月12日]]に[[テキサス・レンジャーズ]]と契約。
 
[[4月3日]]の開幕戦で2盗塁を記録し、メジャー史上17人目の通算600盗塁を達成。打率.300を維持するなど好調だったが、[[7月27日]]に[[マックス・ラミレス]]との交換トレードで古巣インディアンに移籍。過去2回の在籍時とは違い、中堅には[[グレイディ・サイズモア]]がいたため、主にメジャー昇格後初となる左翼手としてプレイした。チームは6年ぶりの地区優勝を果たし、レッドソックスと[[2007年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]で対戦。第5戦では[[ジョシュ・ベケット]]と乱闘騒ぎを起こした。3勝1敗とレッドソックスを追い詰めたがそこから3連敗を喫し、またしてもワールドシリーズ出場を逃した。オフにフリーエージェントとなり、そのまま引退。
 
[[2010年]][[1月27日]]、インディアンの殿堂入りが球団から発表された。