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== 経歴 ==
[[山形県]]出身。[[山形県立山形東高等学校|山形中学]]を経て、{{和暦|[[1902}}11年]](明治35年)11月、[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]](14期)を卒業。{{和暦|[[1903}}6年]](明治36年)6月、[[歩兵]][[少尉]]に任官し[[歩兵第32連隊]]付となる。{{和暦|[[1911}}11年]](明治44年)11月、[[陸軍大学校]](23期)を卒業。
 
1911年12月、[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]付勤務となり、参謀本部員、参謀本部付を経て、{{和暦|[[1916}}11年]](大正5年)11月、歩兵[[少佐]]に昇進し[[歩兵第1連隊]][[大隊]]長に就任。{{和暦|[[1918}}6年]](大正7年)6月、陸大教官に転じ、[[関東軍]][[司令部]]付に異動。{{和暦|[[1921}}4年]](大正10年)4月、歩兵[[中佐]]に進級。同年7月、吉林督軍[[軍事顧問]]に就任し、{{和暦|[[1923}}8年]](大正12年)8月、歩兵[[大佐]]に昇進した。
 
{{和暦|[[1924}}3年]](大正13年)3月、[[歩兵第62連隊]]長に移り、[[歩兵第2連隊]]長、参謀本部課長、陸大教官を歴任。{{和暦|[[1929}}8年]](昭和4年)8月、陸軍[[少将]]に進級し関東軍司令部付(奉天[[特務機関]]長)に就任。{{和暦|[[1931}}8年]](昭和6年)8月、歩兵第4[[旅団]]長となり[[満州事変]]を迎え、混成第4[[旅団]]長として出動。{{和暦|[[1933}}年]](昭和8年)8月、陸軍中将に進み支那公使館付[[駐在武官|武官]]に就任。
 
{{和暦|[[1935}}3年]](昭和10年)3月、[[第19師団 (日本軍)|第19師団]]長に親補された。{{和暦|[[1937}}3年]](昭和12年)3月、[[予備役]]に編入。{{和暦|[[1941}}12年]](昭和16年)12月、新民会副会長となり、さらに同会最高顧問を務めた。
 
== 親族 ==