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[[江戸時代]]に入ると、福田氏はそのまま大村藩士となり、要職を務めた。福田兼明自身は500石を給され、馬廻役を勤めた。当時の大村藩主・[[大村純長]]は伊丹氏からの養子であった。重用されていた兼明は、その縁もあって甲斐国徳美藩主・伊丹勝守の娘(純長の甥の娘)を妻に迎えた。
内政においては先祖代々の領地であった福田村(現在の[[長崎市]]北部)の発展に尽力。
村人達はその死を悼み、領内の大浦郷江川内に埋葬した。その福田兼明の墓所は後々まで「旦那墓」と呼ばれ、兼明は“福田だんなん”と呼ばれて慕われた。
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