「厨子甕」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
2行目:
 
==概要==
沖縄では、古来より死者を崖下や洞窟に運んで[[風葬]]にする習俗があり、った。これがのちに風葬後に[[洗骨]]と呼ばれる遺体の骨を洗って、遺骨を容器に納めるというへと発展したする。この遺骨を納める容器が厨子甕である。火葬は仏教僧侶以外は、沖縄では戦前まで一般的ではなかった。
 
厨子甕は、洗骨後の遺骨をまるごと納める容器であるため、日本本土で一般に見られる[[火葬]]用の骨壺と比較すると、かなり大型である。また、かつては夫婦合葬、親子合葬なども一般的であっため、二人分の骨を納める大きさが必要であった。戦後は、沖縄県でも火葬が普及したため、今日では火葬用の小型の厨子甕も売られている。
 
厨子甕は、遺骨を納めるというその性質上、元来は人目に触れるようなものではなかったが、廃藩置県後、[[バジル・ホール・チェンバレン]]によって、その芸術的、民俗学的価値が認められた。また、昭和に入ると、[[柳宗悦]]や[[濱田庄司]]等の[[民芸運動]]を通して、厨子甕は沖縄陶器を代表するジャンルの一つとして、その芸術的価値が高く評価されるようになった。
 
戦後は、火葬の普及とともに、本来の蔵骨器(骨壺)としての需要は減少傾向にあり、厨子甕を制作できる陶工も少なくなってきている。しかし、その一方で、上江洲茂生等のように厨子甕の伝統的・芸術的価値の重要性を認識し、厨子甕の制作にこだわり続ける陶工もいる。また、近年では本来の用途と違った、インテリアの一種として厨子甕を求める若い人達も現れてきている。
厨子甕の素材としては、木製、石製、陶製等があり、それぞれのタイプの出現時期も概ねこの順番である。また各タイプの厨子甕も材質や焼き方、形によってさらに分類される。
 
==分類==
厨子甕の素材としては、木製、石製、陶製等があり、それぞれのタイプの出現時期も概ねこの順番である。また各タイプの厨子甕も材質や焼き方、形によってさらに分類される。
 
===板厨子===
いわゆる木棺である。朱塗り等の木棺に6~10本の外反り足が付く。本体は[[唐櫃]]によく似た形をしており、蓋は屋根の形をしている。[[百按司墓]]([[今帰仁村]])に、金色の巴紋で飾られた[[弘治]]13年(1500年)銘入りの板厨子があったという(『[[中山世譜]]』並びに『[[球陽]]』の[[尚忠王]]の条)。また、初期[[浦添ようどれ]]([[尚巴志]]王代の改修前)の遺構からの出土例もある。
61 ⟶ 63行目:
*[[骨壺]]
*[[壺屋焼]]
 
 
{{デフォルトソート:すしかめ}}