「石川雅望」の版間の差分

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[[文化 (元号)|文化]]5年ごろから狂歌師として復活。雅望のグループを伯楽連{{要出典|date=2011年7月}}<ref>[http://www.geocities.jp/ezoushijp/tatoebushiue.html 絵本譬喩節(えほん たとえのふし)] 「[[頭光]](つむりのひかる)…の社中を伯楽連と称した。」(和泉屋 楓、『絵双紙屋』) 2011年7月31日閲覧、参考情報。</ref>と称し、天明狂歌界を席巻する一方、俳諧歌を主張した[[鹿津部真顔]](しかつべのまがお)と対立。狂歌の軽妙さと諧謔性を重んじ、[[文化文政]]時代の狂歌壇を二分する勢力となった。国学者としても知られる。
 
著書は他に、撰集『万代狂歌集』、和文集『都の手ぶり』、[[読本]](よみほん)『[[飛騨匠物語]]』、『近江県(おおみあがた)物語』などがある。このうち、『都の手ぶり』は、江戸の[[両国橋]]や、[[馬喰町]]の様子などを、ほぼ、ひらがな文で記述した随筆である<ref>石川雅望「都の手ぶり」吉川弘文館(日本随筆大成 巻3)、1927年,251~268頁
</ref>。