「円周率の歴史」の版間の差分

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Gyopi (会話 | 投稿記録)
→‎正多角形による評価の時代: マーダバ: θ=の式が抜けていて、意味が通じなくなっていたのを修正。
Gyopi (会話 | 投稿記録)
→‎年表: 1. 16世紀ヨーロッパの状況を少し追加。 2. 年代の区切り方を微調整。ヨーロッパ数学史だけで時代を切るとインドや日本の話と不整合になるので…
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;[[1220年]]
:'''[値]''' イタリアの[[レオナルド・フィボナッチ|フィボナッチ]]([[ピサのレオナルド]])が円周率を{{分数|864|275}}と計算した。これは、約 3.1418 である<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.143-145, p.338.</ref>。
 
===計算式の改良の時代===
円に内接・外接する多角形を考える近似から無限級数を利用した近似への移行は、インドでは1400–1500年代に起き、ヨーロッパでは1600年代、日本では1700年代に起きた。
 
====14世紀====
;[[1400年]]ごろ
:インド南西部(現在の[[ケーララ州]])では、14世紀以降、天文学・数学が花開き、当時の世界最先端の研究が行われた。[[ケーララ学派]]と総称される学者たちは、[[三角関数]]・逆三角関数(sin、cos、arctan)の[[マクローリン展開]]を天文計算に利用した<ref name="Untapped">
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『アールヤバティーヤ』({{lang|sa-Latn|Āryabhaṭīya}})は、天文学者[[アールヤバタ]](476–550)の著作(カタカナで書くとアーリャバタ、アーリャバティーヤだが、日本語ではアールヤバタ、アールヤバティーヤと呼ばれているのでそれに従う)。『アールヤバティーヤ・バーシャ』({{lang|sa-Latn|Āryabhaṭīya-bhāṣya}})は、約1000年後のニーラカンタが『アールヤバティーヤ』を解説したもの。
</ref>によると、sin の展開式は彼より前の時代の学者の業績であるという。その学者とは、サンガマグラーマ(現在のイリンジャラクダ)の[[マーダヴァ|マーダバ]]({{lang|sa-Latn|Mādhava}}, 1340頃–1415頃。[[マラヤーラム語]]名: マーダバン)である。以下の式も、マーダバの発見とされることが多い<ref name="Untapped"/><ref name="MacTutor-Madhava">
{{citation| first1={{lang|en|John J.}}| last1={{lang|en|O’Connor}}| first2={{lang|en|Edmund F.}}| last2={{lang|en|Robertson}}| year=2000| title={{lang|en|Madhava of Sangamagramma}}| work={{lang|en|MacTutor History of Mathematics archive}}| publisher=[[セント・アンドルーズ大学 (スコットランド)]]| | language=英語| url=http://www-gap.dcs.st-and.ac.uk/~history/Biographies/Madhava.html| accessdate=2012-09-21| separator=,}}</ref>:
::<math>\theta = \tan \theta - \frac{\tan^3 \theta}{3} + \frac{\tan^5 \theta}{5} - \frac{\tan^7 \theta}{7} + \cdots</math>
:これは次と同等である:
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</ref>。しかし、記録は見つかっておらず、現時点では想像の域を出ない。</small>
:'''[法]''' ケーララ学派による円周率の近似は無限級数に基づくもので、[[剰余項]]も考察している。他地域ではこの200年後(ニーラカンタから数えても100年後)にまだ正多角形の外周に基づく計算をしていることを考えると、極めて先進的だった。円周率の計算法として新しいというだけでなく、無限や極限を扱う新しい数学への大きな一歩だった。
 
====15世紀====
;[[1424年]]
:'''[値]'''(16) ペルシャの天文学者・数学者ジャムシード・カーシャーニー(アラビア語名: [[アル・カーシー]])は、当時使われていた円周率の近似値の不正確さに不満を抱き、天文計算に必要十分な精度で円周と半径の比を決定したいと考えた。1424年の『円周論』<ref>
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:'''[学]''' ケーララの天文学者ニーラカンタが、円周率の[[無理数]]性を指摘した。彼の著書『アールヤバティーヤ・バーシャ』<ref name="Bhasya"/>には、こうある<ref name="Roy1990"/>: 「直径が何らかの長さの単位で計測されて、その単位の比として表されるなら、その同じ単位によって円周を同様に計測することはできない。よってまた同様に、円周が何らかの単位で計測可能であるのなら、直径はその同じ単位によっては計測できない。」
:[[ケーララ学派]]は円周率の無限級数表示を知っていたため、この認識は自然に生じたのだろう。
:ニーラカンタの『タントラ・サングラハ』には、円周率の近似値としてエレガントな分数表示 {{pi}} ≈ {{frac|104348/|33215}} を与えたが含まれる<ref name="Roy1990"/>。これは {{frac|22/|7}}{{frac|355/|113}} と同様の最良近似分数(より小さい分子・分母でこれより誤差の少ない近似値は作れない)で、小数点以下9桁目まで正しい。
 
;[[16世紀|1579年]]
====16世紀====
;[[16631503年]]
:アルキメデスの『円の計測について』と『放物線の面積について』のラテン語訳が、[[ベネチア]]で出版された<ref>
{{cite book| title={{lang|la|Tetragonismus idest circuli quadratura}} | year=1503 | language=ラテン語 | url=http://mathematica.sns.it/opere/144/ }} 『四角形主義: 円の求積法』
</ref>。
;[[16001543年]]ごろ
:[[ニコロ・フォンタナ・タルタリア|タルターリャ]]({{lang|it|Tartaglia}})が、アルキメデスの一部の著作のラテン語訳をベネチアで再出版した<ref>
{{cite book| first={{lang|it|Niccolò}} | last={{lang|it|Tartaglia}} | title={{lang|la|Opera Archimedis Syracusani philosophi et mathematici ingeniosissimi}} | year=1543 | language=ラテン語 | url=http://echo.mpiwg-berlin.mpg.de/ECHOdocuViewfull?mode=imagepath&url=/mpiwg/online/permanent/library/V3WUN5FQ/pageimg&viewMode=images }} 『シラクサの天才哲人数学者アルキメデスの作品集』
</ref>。
;[[1544年]]
:アルキメデスの著作の原文が、初めてまとめて出版された。出版地は[[バーゼル]]で、ラテン語訳付きだった。<ref>
{{cite book | title={{lang|el|Αρχιμήδους του Συρακουσίου, τα μέχρι νῦν σωζόμενα, ἃπαντα.}} {{lang|la|Archimedis Syracusani philosophi ac geometrae excellentissimi opera}} | year=1544 | language=ギリシャ語・ラテン語 | url=http://archive.org/details/archimedestamech00arch }} 『[[シラクサ|シュラークーサイ]]のアルキメーデースの現存する全著作: 哲人幾何学者の卓越した作品集』
</ref>。これによりヨーロッパでは彼の業績が広く知られるようになり、円周率の研究もこれを出発点として本格的に再開された。この時点での西洋の円周率研究は紀元前のアルキメデスの時代からあまり進歩していなかったが、これ以降は急速に展開する。
;[[16世紀|1579年]]
:'''[値]'''(9) [[フランソワ・ビエタ]]が円に内接・外接する正393,216角形の周の長さから 3.14159 26535 < {{π}} < 3.14159 26537 という評価をした。ビエタはさらに、[[総乗|無限乗積]]
: <math>x_1 = \sqrt{1 \over 2},\ x_{n+1} = \sqrt{{1+x_n} \over 2} </math>
: <math>{2 \over \pi} = \prod_{n=1}^\infty x_n</math>
:を示し {{π}} の計算を試みた<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.157-163.</ref>。
;[[16世紀|1585年]]
:'''[値]''' オランダの[[アドリアン・アンソニスゾーン]]が {{分数|333|106}} < {{π}} < {{分数|377|120}} と評価し、両端の平均に近い値として {{分数|355|113}} を得た。これは、約 3.14159 292 である<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.173.</ref>。
;[[1593年]]
:'''[値]'''(16) [[フランドル]]の[[アドリアーン・ファン・ローメン]]({{lang|nl|Adriaan van Roomen}}、ラテン語名: ローマヌス)が『数学的観念序説: 多角形法』の中で 3.14159 26535 89793 05 < {{π}} < 3.14159 26535 89793 15 に当たる評価を与え、{{π}} ≈ 3.14159 26535 89793 1 とした<ref>
{{cite book | first={{lang|la|Adrianus}} | last={{lang|la|Romanus}} | title={{lang|la|Ideae Mathematicae Pars Prima, sive Methodus Polygonorum}} | year=1593 | language=ラテン語 | url=http://hdl.handle.net/2027/ucm.5320258006 }}
</ref>。これは小数点以下15桁目まで正しい。アル・カーシーの世界記録16桁にはわずかに及ばなかったが、この時点でヨーロッパ最良の近似値であり、ビエトの結果(1579)の改良となっている。ただし、円周率の真の値は上記の区間に含まれておらず、厳密な評価ではない。計算は正251,658,240(=15×2<sup>24</sup>)角形を用いるものだった<ref>
「円に内接・外接する2億5165万8240角形を考える」とあり[http://hdl.handle.net/2027/ucm.5320258006?urlappend=%3Bseq=16]、15角形を第1段階として辺の数を次々と2倍にして第25段階で結果を得ている[http://hdl.handle.net/2027/ucm.5320258006?urlappend=%3Bseq=87]。
</ref>。彼は21歳年上のファン・コーレンと親交があり、円周率に興味を持ち始めたのは彼の影響らしい<ref>{{citation| first1={{lang|en|John J.}}| last1={{lang|en|O’Connor}}| first2={{lang|en|Edmund F.}}| last2={{lang|en|Robertson}}| year=1996| title={{lang|en|Adriaan van Roomen}}| work={{lang|en|MacTutor History of Mathematics archive}} | publisher=[[セント・アンドルーズ大学 (スコットランド)]]| language=英語| url=http://www-history.mcs.st-andrews.ac.uk/Biographies/Roomen.html| accessdate=2012-09-26| separator=,}}
</ref>。
;[[1596年]]
:'''[値]'''(20) フェンシング師範で数学教師だった[[ルドルフ・ファン・コーレン]]<ref>{{lang|nl|Ludolph van Ceulen}} &mdash; 標準オランダ語では {{lang|nl|''v''}} は有声音なので、{{lang|nl|''van''}} の部分はバン(ヴァン)と表記するべきかもしれない。彼の住んだ地域の方言では(少なくとも現代では){{lang|nl|''v''}} が無声音として発音されるということから、暫定的にファン・コーレンと表記しておく。</ref>(ドイツ生まれでオランダに移住。ドイツ語読み: ルドルフ・ファン・コイレン)は、1590年(50歳)ごろから円周率に関心を持ち始め、1596年、『円について』で {{π}} の小数点以下20桁を示した。当時、世界最良の近似値であり、計算では正32,212,254,720(=15×2<sup>31</sup>)角形が用いられた。<ref name="MacTutor-Ludolph">{{citation| last1={{lang|en|O’Connor}} | first1={{lang|en|John J.}} | last2={{lang|en|Robertson}} | first2={{lang|en|Edmund F.}} | title={{lang|en|Ludolph Van Ceulen}} | work={{lang|en|MacTutor History of Mathematics archive}} | publisher=[[セント・アンドルーズ大学 (スコットランド)]] | language=英語 | url=http://www-history.mcs.st-and.ac.uk/history/Biographies/Van_Ceulen.html | year=2009 | month=4 | accessdate=2010-09-12}}</ref>
[[画像:Monument voor PI .jpg|alt=ルドルフの墓の写真|thumb|right|200px|オランダの[[ライデン]]にあるルドルフの墓(復元後)。彼が得た35桁の上界・下界(末尾桁1違い)が刻まれている。]]
;[[1600年]]ごろ
:'''[値]'''(35) ファン・コーレンは、1610年に亡くなるまでのいずれかの時点で、正2<sup>62</sup>(=約461京1686兆)角形を使って {{π}} の35桁目までを正しく評価した。この結果は、1621年、弟子の[[ヴィレブロルト・スネル|スネリウス]]の著書『キュクロメトリクス、円の計測について』<ref>{{cite book| author={{lang|la|Snellius, Willebrordus}} ({{lang|nl|Snel, Willebrord}}) | title={{lang|la|Cyclometricus, De Circuli Dimensione}} | year=1621 | language=ラテン語}}</ref>で公表されたほか、本人の墓(生前の1602年に購入した記録がある)に刻まれた。墓石は後代に滅失したが、碑文とスケッチは残っており、2000年に復元された<ref name="MacTutor-Ludolph"/>。かつてドイツでは、彼の名にちなんで円周率をルドルフ数 ({{lang|de|[[:de:Ludolph_van_Ceulen#Ludolphsche_Zahl|Ludolphsche Zahl]]}}) と呼んだ<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.174, p.339.</ref>。
 
====17世紀====
ヨーロッパの数学史では、ファン・コーレンの時代までで、正多角形の外周に基づく近似計算の時代はほぼ終わった。世界に目を転じると、ケーララ学派は既に15世紀前後に正多角形を使わず無限級数を使っている。
;[[1610年]]ごろ
 
:'''[値]'''(35) ファン・コーレンは、1610年に亡くなるまでのいずれかの時点で、正2<sup>62</sup>(=約461京1686兆)角形を使って {{π}} の35桁目までを正しく評価した。この結果は、1621年、弟子の[[ヴィレブロルト・スネル|スネリウス]]の著書『キュクロメトリクス、円の計測について』<ref>{{cite book| author={{lang|la|Snellius, Willebrordus}} ({{lang|nl|Snel, Willebrord}}) | title={{lang|la|Cyclometricus, De Circuli Dimensione}} | year=1621 | language=ラテン語}}</ref>で公表されたほか、本人の墓(生前の1602年に購入した記録がある)に刻まれた。墓石は後代に滅失したが、碑文とスケッチは残っており、2000年に復元された<ref name="MacTutor-Ludolph"/>。かつてドイツでは、彼の名にちなんで円周率をルドルフ数 ({{lang|de|[[:de:Ludolph_van_Ceulen#Ludolphsche_Zahl|Ludolphsche Zahl]]}}) と呼んだ<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.174, p.339.</ref>。
;[[1663年]]
;[[17世紀|1621年]]
:'''[値]''' [[村松茂清]]が『算俎』を著し、円に内接する正2<sup>''n''</sup>角形 (2&le;''n''&le;15) の辺の長さから {{π}} ≒ 3.1415 92648 77769 88692 48とし、小数点以下7桁まで正しい値を求めた。ファン・コーレンなどの計算には遠く及ばないものの、中国などを通じて入ってくる算書に頼り切ってきた和算と違い、はじめて数学的な方法で円周率を計算し発表した和算家が村松である。
 
===計算式の改良の時代===
;[[17世紀|1621年]]
:'''[法][値]''' オランダの[[ヴィレブロルト・スネル|ウィレブロルト・スネル]](ラテン語名: スネリウス)が、円周の長さの評価式を与える。
: <math>{3 \sin\theta \over 2 +\cos\theta} < \theta < {2\sin\theta +\tan\theta \over 3}</math>
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: <math>{4 \over \pi} =1+ \cfrac{1^2}{2+ \cfrac{3^2}{2 + \cfrac{\cdots}{\cdots + \cfrac{\left(2n-1\right)^2}{2+\cdots}}}}</math>
:を示した<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.216-220, p.339.</ref>。この公式により{{π}}が[[無理数]]であることがわかる。
;[[1663年]]
:'''[値]''' [[村松茂清]]が『算俎』を著し、円に内接する正2<sup>''n''</sup>角形 (2&le;''n''&le;15) の辺の長さから {{π}} ≒ 3.1415 92648 77769 88692 48とし、小数点以下7桁まで正しい値を求めた。ファン・コーレンなどの計算には遠く及ばないものの、中国などを通じて入ってくる算書に頼り切ってきた和算と違い、はじめて数学的な方法で円周率を計算し発表した和算家が村松である。
;[[1665年]]
:'''[学]''' イギリスの[[政治哲学|政治哲学者]]の[[トマス・ホッブズ|ホッブズ]]が[[円積問題]]の解を公表し、[[ジョン・ウォリス|ウォリス]]との間で論争になる。ホッブズは死ぬまで厳密解と近似解の違いを理解できずに論争を続けた<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.216.</ref>。
138 ⟶ 163行目:
;[[1699年]]
:'''[値]'''(72) イギリス人の[[エイブラハム・シャープ|シャープ]]がグレゴリー・ライプニッツ級数に ''x'' = {{分数|1|√3}} を入れ、{{π}} を小数第 72 位まで求めた<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.236, p.339.</ref>。
 
====18世紀====
;[[1706年]]
:'''[法][値]'''(100) イギリスの[[ジョン・マチン]]が[[マチンの公式]]
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;1850年ごろ–[[1873年]]
:'''[値]'''(527) イギリスの[[ウィリアム・ラザフォード]]とその弟子の[[ウィリアム・シャンクス]]がマチンの公式を用いて桁数の記録を塗り替えた。1852年にラザフォードが小数第 441 位、シャンクスが小数第 530 位まで計算し、小数第 441 位までは両者の計算が一致していることでその計算の正しさを確認できた。しかし、arctan({{分数|1|5}}) が小数第 530 位までしか正しくなく、シャンクスの計算で正しかったのは、小数第 527 位までであった。その後、シャンクスは1872年に小数第 707 位まで達したが、この誤りが最後までつきまとった<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.176-177, p.339.</ref>。
 
====19世紀====
;[[1882年]]
:'''[学]''' [[フェルディナント・フォン・リンデマン|リンデマン]]によって {{π}} が[[代数的数]]でないことが証明される。これにより {{π}} の[[超越数|超越性]]が証明され、[[円積問題]]も否定的に解決された<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], p.280, p.340.</ref>。
171 ⟶ 200行目:
:'''[文][値]''' [[アメリカ合衆国]]の[[インディアナ州]]の下院で[[医者]]の[[エドウィン・グッドウィン]]による円積問題解決方法を盛り込んだ議案246号が満場一致で通過した。グッドウィンの方法から得られる値は {{π}} = 3.1604, 3.2, 3.232, 4 であり、このうち 4 については公式に認められた最も不正確な円周率の値として[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]に記載された。この法案は各審議会を通過していき上院に承認を求める段階にまで達した。しかし世論の批判にあい2月12日に上院によって議論の無期限延期が決められ、法案成立目前で却下された<ref>[[#ベックマン2006|ベックマン 2006]], pp.288-293.</ref>。
 
====20世紀====
;[[1910年]]
:'''[法]''' [[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン|ラマヌジャン]]によって、無限級数表示