「金学順」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
31行目:
* 1939年(15歳):40円で妓生を養成する学校の養女に、そこから妓生巻番(妓生養成学校)に通う
* 1941年(17歳):卒業するが年齢が足りず妓生になれず、養父に中国ならお金が稼げるだろうと、養父に連れられ平壌から中国へ汽車で行く。北京に到着町中で日本軍将校に呼び止められ「朝鮮人だろ、スパイではないか?」と姉さんとトラックに乗せられる。夜中ついた空き家で将校に犯される。翌日、お姉さん共々慰安所に。場所はテッペキチン(鉄壁鎮?)村の中の慰安所で女は朝鮮人5人で経営者はいないが歩哨が隣の部屋にいる。
*:<blockquote>「軍人達は自分たちでサックを持ってきました。1週間に1回後方で軍医が兵士を連れてきて検査をしましたが軍医が忙しいと来ない週もありました。軍医が来て少しでも異常があれば黄色く光る606号の注射を打たれるのです。」</blockquote>
 
*:<blockquote>「私たちのところに来る軍人は部隊の許可を得ているようでした。始めは軍人達が金を出しているのかどうかまったく分からなかったのですが、しばらくしてシズエから兵士達は1円50銭、将校達が泊まりの時は8円出さねばならないのだという話を聞いたことがあります。けれど私は慰安婦生活の間中軍人達からお金を受け取ったことはありません。」</blockquote>
<blockquote>「軍人達は自分たちでサックを持ってきました。1週間に1回後方で軍医が兵士を連れてきて検査をしましたが軍医が忙しいと来ない週もありました。軍医が来て少しでも異常があれば黄色く光る606号の注射を打たれるのです。」</blockquote>
 
<blockquote>「私たちのところに来る軍人は部隊の許可を得ているようでした。始めは軍人達が金を出しているのかどうかまったく分からなかったのですが、しばらくしてシズエから兵士達は1円50銭、将校達が泊まりの時は8円出さねばならないのだという話を聞いたことがあります。けれど私は慰安婦生活の間中軍人達からお金を受け取ったことはありません。」</blockquote>
 
* (2ヶ月後)近傍のより前線に近い慰安所に移動。
* (1ヶ月後)歩哨の目を盗んできた朝鮮人の男が寝に来る、無理に頼んで夜中に脱出。男と中国で暮らす。
66 ⟶ 63行目:
== 証言の信頼性について ==
* 韓国挺身隊問題対策協議会と共同で調査をおこなった[[安秉直]]は、慰安婦として名乗り出た人の中には事実を歪曲している人もいたとした上で、金学順についての調査結果ではそうした事はなく証言の信頼性が高いことを以下のように書いている<ref>[[#韓国挺身隊問題対策協議会 1993|韓国挺身隊問題対策協議会 1993]] {{要ページ番号|date=2012-09-08}}</ref>。
*:<blockquote>「調査を検討する上で難しかったのは証言者の陳述がたびたび論理的に矛盾することであった。すでに50年前の事なので、記憶違いもあるだろうが証言したくない点を省略したり、適当に繕ったりごちゃ混ぜにしたりという事もあり、またその時代の事情が私たちの想像を越えている事もあるところから起こったことと考えられる。(略)私たちが調査を終えた19人の証言は私たちが自信をもって世の中に送り出すものである。(略)証言の論理的信憑性を裏付けるよう、証言の中で記録資料で確認できる部分はほとんど確認した」</blockquote>
 
:** その後[[2006年]]に安は、「強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない」「無条件による強制によってそのようなことが起きたとは思えない」と述べ、日本のケースでの「自発性」を強調し、現在の韓国における私娼窟における慰安婦をなくすための研究を行うべきであり、共同調査を行った韓国挺身隊問題対策協議会は慰安婦のことを考えるより日本との喧嘩を望んでいるだけであったと非難している<ref>{{ko icon}}{{cite web
<blockquote>「調査を検討する上で難しかったのは証言者の陳述がたびたび論理的に矛盾することであった。すでに50年前の事なので、記憶違いもあるだろうが証言したくない点を省略したり、適当に繕ったりごちゃ混ぜにしたりという事もあり、またその時代の事情が私たちの想像を越えている事もあるところから起こったことと考えられる。(略)私たちが調査を終えた19人の証言は私たちが自信をもって世の中に送り出すものである。(略)証言の論理的信憑性を裏付けるよう、証言の中で記録資料で確認できる部分はほとんど確認した」</blockquote>
 
:* その後[[2006年]]に安は、「強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない」「無条件による強制によってそのようなことが起きたとは思えない」と述べ、日本のケースでの「自発性」を強調し、現在の韓国における私娼窟における慰安婦をなくすための研究を行うべきであり、共同調査を行った韓国挺身隊問題対策協議会は慰安婦のことを考えるより日本との喧嘩を望んでいるだけであったと非難している<ref>{{ko icon}}{{cite web
| url = http://web.archive.org/web/20080129121328/http://www.dailyseop.com/section/article_view.aspx?at_id=52265
| title = 教科書フォーラムの安秉直、「慰安婦は自発的」妄言で波紋
76 ⟶ 71行目:
| date = 2006-12-06
}}</ref>。
 
* [[西岡力]]は「40人を対象に始められたこの調査で、19人が聞き取りを終えた。この19名のうちで強制連行を主張している証言者は4名、そのうちの2名は日本における裁判では人身売買と証言を変えており、さらに残りの2名は終戦まで戦地とはならなかった[[釜山広域市|釜山]]、[[富山]]にそれぞれ日本軍によって強制連行されたと証言している」と書いている<ref>[[西岡力]]『[[諸君!]]』平成9年5月号 {{要ページ番号|date=2012-09-08}}</ref>。
* [[吉見義明]]は[[秦郁彦]]の批判に答え、3回の彼女の証言の中で[[安秉直]]教授による韓国挺身隊問題対策協議会による調査結果が最も信頼できるとしている<ref>[[#吉見 川田 1997|吉見 川田 1997]] {{要ページ番号|date=2012-09-08}}</ref>。生年は戸籍で確認され、ヒアリングは何回も行われており、本人に不利な証言もしているためである。彼女の証言では秦郁彦と同じように、中国にいくまでの経緯についてまず養父に40円で売られた可能性があることを指摘している。吉見は証言の中で何が誇張され何がほぼ事実かを判断するのが歴史学での実証的研究であり、漠然と証言間に差異があるとするのではなく、信頼できる事実を判断しくみ取ることを述べている。その結果彼女が中国で人身売買の結果、慰安婦になった点では証言間で差異はなく信用できるとしている。