「ビートルズ」の版間の差分

(「ムーン・ドッグス」⇒「ムーンドッグス」)
=== 演奏旅行の中止まで ===
[[ファイル:TrailerUSHelp.jpg|thumb|230px|left|映画「ヘルプ!」のアメリカ版予告編]]
1965年2月<ref name=anth41/>から映画「[[ヘルプ!4人はアイドル]]」の撮影開始。[[ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (映画)|前作]]のドキュメンタリー・タッチな内容から、任意の事件が発生するストーリーが存在する作品となり、今回はカラー映画にもなった。公開は7月。サウンドトラックアルバム「[[4人はアイドル]]」は8月6日にリリースされた。その収録曲のひとつである「[[イエスタデイ]]」は、後にビートルズ・ナンバーの中でも際立って有名な曲のひとつとなる([[イエスタデイ|当該項目]]を参照の事)。同月15日、ニューヨークの[[シェイ・スタジアム]]で55600人<ref group="注釈">ただしこの人数には異説がある。ビデオ版[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]]ではニール・アスピノールが55000人と話しているが、ポールは56000人、リンゴは60000人、ジョージは70000人だと聞いたとコメントしている。</ref>の観客を集めた野外コンサート開催(詳細は[[#野球場でのコンサート]]を参照)。10月、メンバーに[[MBE勲章]]が授与される。12月、「[[ラバー・ソウル]]」リリース。ジョンはこのアルバムについて、ビートルズが音楽的に同時代に影響を及ぼした最初のアルバムだと述べており<ref name="videoan"/>、実際に「[[ドライヴ・マイ・カー]]」や「[[ひとりぼっちのあいつ]]」、[[シタール]]を演奏に加えた「[[ノルウェーの森]]」など、それまでのビートルズにはなかった作風が登場した。なお、シタールの導入を提案したのはジョージであり、[[ラヴィ・シャンカル]]の影響であるとコメントしている<ref>ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 p.196</ref><ref name="videoan"/>。同月、最後のイギリス公演旅行を行う。また、この公演旅行中に、メンバーがコンサート・ツアーを続ける事に疑問を感じて話し合いの場を持っている<ref>ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 pp.198-199</ref>。1966年3月、ジョンがイギリスのインタビューで[[キリスト教]]に関する発言を行う。8月になってその発言の一部がアメリカのマスコミに転載され、物議を呼ぶ醸す(詳細は[[#ジョンのキリスト発言|ジョンのキリスト発言]]を参照)。4月から「[[リボルバー]]」の録音が開始される<ref>ザ・ビートルズ・アンソロジー 日本語版 p.206</ref>。なお、本作からノーマン・スミスに代わってアシスタント・エンジニアだった[[ジェフ・エメリック]]がチーフ・エンジニアに就任。6月からドイツ、日本、フィリピン公演。8月、最後の(ただし最後だという事はメンバー間のみの秘密事項だった<ref name="videoan"/>)アメリカ公演旅行が開始され、29日の[[キャンドルスティック・パーク]]で終了した(詳細は[[#公演旅行の中止とレコーディングアーティストへの変遷]]を参照)。同月5日、イギリスで「[[リボルバー]]」がリリースされた。
==== 野球場でのコンサート ====
[[1964年]]の全米ツアーは1か月に24都市を回るという強行スケジュールであり、加えてレコーディングや映画撮影、テレビ出演などもあってメンバーの疲労も非常に激しいものとなった<ref>[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]] 日本語版 p.161</ref>。そのため、[[1965年]]の全米ツアーは日程が大幅に短縮され、2週間で10都市を回るスケジュールとなった。その代わりに、コンサート会場として、何万人もの観客を一度に集めることができる[[野球場]]を使うことになった。[[1965年]][[8月15日]]にニューヨークの[[シェイ・スタジアム]]において開催されたコンサートの観客人数は55600人に上っている。これは当時としては世界最大の観客動員数であり、またビートルズが演奏旅行期間中に開催した全てのコンサートの中でも最大数である<ref name="anth187">[[ザ・ビートルズ・アンソロジー]] 日本語版 p.187</ref>。[[1965年]]の全米ツアーのみならず、翌[[1966年]]の全米ツアーでも多くの野球場が使用された<ref group="注釈">この[[1966年]]のツアーでもシェイ・スタジアムが使用された。[[8月29日]]のビートルズ最後のコンサートも[[キャンドルスティック・パーク]]という野球場である。</ref>。ただし、こういった大規模な野外コンサートに対して、メンバーは音響面や観客との距離といった点で不満を抱いており<ref name="anth187"/>、これがビートルズの公演旅行中止の一因となった(詳細は[[#コンサート・ツアーの停止とレコーディングアーティストへの変遷|こちら]]を参照)。これ以後、野球場での大規模コンサートは一般化していき<ref group="注釈">シェイ・スタジアム自体もその後[[ローリング・ストーンズ]]、[[ザ・フー]]、[[ポリス (バンド)|ポリス]]などがコンサート会場として使用している。2009年にシェイ・スタジアムは解体され、その前年である2008年に開催された[[ビリー・ジョエル]]のコンサートが最後となった。なお、このコンサートにはポールがゲスト出演している。詳細は[http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Special/BillyJoel/special/index.html 公式サイトの当該項目]を参照の事。</ref>、日本でも1968年8月12日に[[ザ・タイガース]]による[[後楽園球場]]でのコンサートが開催されて以降、野球場でのコンサートが折に開催されるようになる。また、野球場以外でも1969年の[[ウッドストック・フェスティバル|ウッド・ストック]]や1970年のワイト島フェスティバル([[w:en:Isle of Wight Festival 1970|Isle of Wight Festival 1970]])といった大規模野外コンサートが開催されるようになる。
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