「久能山東照宮」の版間の差分

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神祇官 (会話 | 投稿記録)
m 補修工事は完了、時計師は「エバロ」
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晩年を[[駿府]]で過ごした[[徳川家康]]が[[元和 (日本)|元和]]2年([[1616年]])に死去した後、[[遺言|遺命]]によってこの地に埋葬された。
 
[[江戸時代]]には20年に一度、[[明治]]時代以降では50年に一度、[[神社建築|社殿]]を始めとした諸建造物の[[漆]]塗り替えが行われており、近年では[[2006年]]([[平成]]18年)に社殿の塗り替えが完了した。修復作業は現在も一部で続けられている
[[2010年]](平成22年)12月に、[[神社建築#本殿の起源|本殿]]、[[権現造#概要|石の間]]、[[神社建築#拝殿の起源|拝殿]]が[[国宝]]に指定された。[[2015年]](平成27年)には鎮座400年を迎えるため、様々な催し物が企画、開催されている。
 
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** 四、道具類
 
:「徳川家康関係資料」は、家康旧蔵の調度品、茶道具などの奉納品を一括指定したもの。指定品中には、[[1581年]]の銘がある[[スペイン]]製の置時計(日本に現存する最古の南蛮時計)、日本最古の鉛筆などが含まれる。南蛮時計は[[フェリペ3世 (スペイン王)|フェリペ3世]]のお抱え時計師ハンス・デ・エの製作で、[[1611年]]に[[セバスティアン・ビスカイノ]]が献上したもの。ハンス・デ・エの製作で久能山東照宮の他に現存している時計は、スペインの[[エル・エスコリアル修道院|エル・エスコリアル宮殿]]にある1個のみといわれている。
 
== 付属施設 ==