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'''カール・シュヴァルツシルト'''(''Karl Schwarzschild'', [[1873年]][[10月9日]] - [[1916年]][[5月11日]])は、[[ドイツ]]の[[天文学者]]、[[天体物理学|天体物理学者]]。日本語ではシュバルツシルトとも。
 
彼は[[フランクフルト・アム・マイン]]で[[ユダヤ系ドイツ人]]([[ユダヤ系]])の子として生まれた。最初の論文はわずか16歳で公表され、[[神童]]と呼ばれた。1891年、[[シュトラスブルク大学]]に入学、[[ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン|ミュンヘン大学]]に移り[[学位]]を取得。[[アンリ・ポアンカレ|ジュール=アンリ・ポアンカレ]]の理論の研究で1896年に[[博士号]]を得た。
 
1901年、[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン|ゲッティンゲン大学]][[準教授]]および同天文台長、1909年、[[ポツダム天体物理天文台]]の台長に就任。 1914年に[[第一次世界大戦]]が勃発すると40歳以上だったにもかかわらず[[]]に入隊した。
 
1915年、[[ドイツ軍]][[砲兵]][[将校|技術将校]]として[[ロシア]]で従軍中、[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]の[[一般相対性理論]]から[[重力場]]を記述する最初の特殊解([[シュヴァルツシルトの解]])を見つけ、[[ブラックホール]]の存在を示唆した。
 
彼の業績を記念して、ドイツ天文協会(AG、Astronomische Gesellshaft)が天文学上の功績に対して贈る「[[カール・シュヴァルツシルト・メダル|カール・シュヴァルツシルト賞]]」を設立している。
 
彼は第一次大戦中の[[東部戦線]]で病気あるいは希な代謝異常のいずれかで死去したと言われている{{誰2|date=2009年5月}}。
 
息子の[[マーチン・シュヴァルツシルト]](Martin Schwarzschild、1912 - 1997)は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の天体物理学者で、主として恒星進化論の分野での功績を残し、「恒星の構造と進化」(1958)を著している。