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大谷興行部にいた一番若い女浪曲師藤原朝子(本名・伊丹とめ)と結婚。永田は朝子を大成させるため徹底的にしごきあげ、初代[[天中軒雲月]]に弟子入りさせ[[天中軒雲月嬢]](うんげつじょう)の名をつけてもらう。雲月嬢の全国的な売り出しに成功し、[[1929年]]には[[ハワイ]]興行も成功させる。
 
知識人の間では蔑まれていた浪曲の地位を向上させるため[[神奈川県]][[葉山町|葉山]]に別荘を持ち、[[金子堅太郎]][[子爵]]や[[高橋是清]]首相、[[鈴木忠治]][[味の素]]社長らの知己を得、天中軒雲月嬢の後援会に入ってもらう。[[1934年]]には遂に大看板である二代目天中軒雲月を妻に襲名させることに成功。また興行界に進出してきた[[山口組]]の二代目組長[[山口登 (暴力団)|山口登]]とは[[義兄弟]]の間柄であった。
 
[[1940年]]、[[日本浪曲協会]]の書記長となり、詩人の[[松沢太平]]と共に国策浪曲(愛国浪曲)の流れを作る。