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[[1989年]]後半から[[1990年]]初頭にかけては、レイナード・[[M-TEC|無限]]・[[ブリヂストン]]のパッケージングでF3000用のマシンをF1用に改良してのテスト走行が[[鈴鹿サーキット]]で数回行われたが、これはテスト走行だけで終わった。ただしこれはレイナードのF1参戦というよりは、むしろ無限のF1進出に向けたエンジンテストの側面が強い。
 
その後レイナードはF1への参戦を模索していて、[[1989年]]末に[[ベネトン・フォーミュラ|ベネトン]]を離脱した[[ロリー・バーン]]をデザイナーに迎えてF1マシンのデザインをしたが、日の目を見る事は無かった。しかし1992年のインターナショナルモーターショーで[[パシフィック・グランプリ]]が[[1993年]]からのF1への参戦表明を行い、その後資金不足から1年遅れて登場した「[[パシフィック・PR01|PR01]]」にそのデザインが流用された。ロリー・バーンは1991年後半にベネトンに復帰していたため、PR01は1992年の[[ベネトン・B192]]と酷似した。
 
[[1999年]]に[[B・A・R]]用に開発・製作したマシンが本当の意味でレイナード初のF1マシンとなり、マシンのノーズとリアウイングの翼端板上部にレイナードのロゴが入れられた。レイナードは会社が倒産する2002年のシーズン途中までB・A・Rのマシン開発・製作を行った。