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'''源 懿子'''(みなもと の いし/ よしこ、[[永久 (元号)|永久]]4年([[1116年]]) - [[康治]]2年[[6月24日 (旧暦)|6月24日]]([[1143年]][[8月6日]]))は、[[藤原経実]]の娘。母は[[藤原公子]]([[藤原公実]]の娘)。[[源有仁]]の養女。[[後白河天皇]]親王時の妃、[[二条天皇]]生母。贈[[皇太后]]。
 
母の妹が[[源有仁]]の室であった関係で、源有仁の養女として育てられた。[[保延]]5年(1139年)の雅仁親王(のちの[[後白河天皇]])の元服の頃、妃となったとみられる。当時、雅仁親王は13歳、懿子は24歳で、懿子の方が11歳年長であった。[[康治]]2年(1143年)6月17日、三条高倉第において守仁親王(のちの[[二条天皇]])を産むが、[[疱瘡]]を患い、同月24日に28歳で薨去。[[後白河天皇|雅仁親王]]は[[久寿]]2年(1155年)、守仁親王即位までの中継ぎとして即位したが、[[保元]]3年(1158年)、守仁親王に譲位。懿子は[[二条天皇]]の即位に伴い、[[皇太后]]を追贈された。
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{{DEFAULTSORT:みなもと の いし}}
[[Category:大炊御門家|いし]]
[[Category:平安・鎌倉時代の皇族]]
[[Category:天然痘で死亡した人物]]
[[Category:1116年生]]
[[Category:1143年没]]